ドイツでお墓を作る その3

私は墓石にこだわりたかった。やっぱりずーっと残るものだし、ここはお金をかけたいとおもった。だから、墓石は値段のランクを見ずに、とにかく自分が一番気に入ったものを選んだ。それが強さや耐久性でも優れていたので結果的にも満足なのだが、濃く少し光沢のある黒い墓石だ。

墓石に刻む名前のフォントも選んで、生年月日と没日を記すことにした。墓石会社の人が、「お子さんに名前を書いてもらって、それをそのまま墓石に刻む人もいますよ」と提案されたが、それは、ちょっとプライベートすぎる、というかそれは嫌だったので、ごく普通の綺麗なフォントを選んだ。それから、デザインだ。ドイツのお墓は本当に自由だ。私は十字架をモチーフにモダンでシンプルなデザインに決めた。義妹が一緒に付き添ってくれた。何もアイデアを言うことはなかったが、一緒にいてくれてありがたかった。

骨壷は、飛行機で運ばれた。危惧していたが、私は飛ぶ必要はなかった。自分の膝の上に骨壷を乗せて飛行機に乗るのを想像して、それはきつすぎると思っていたのでホッとした。イギリスの葬儀会社とドイツの葬儀会社がやりとりして、特別な書類が用意され、骨壷は、荷物だけど荷物扱いされず、特別に飛行機に乗せられたらしい。ドイツの空港ではスタッフから直接骨壷が手渡しされることになっていた。私は精神的にも無理で、義理の弟が受け取って、ドイツの葬儀会社まで運んでくれた。

骨壷が届き、お墓の場所も決まったので、骨壷をお墓に入れる式をすることになった。通常ではお葬式に当たる。もう夫がなくなって10ヶ月近く経っていた。私たちが新しくドイツで通い始めた教会の牧師さんとアレンジして、簡素だけどアットホームな式にしようと思った。上の子供たち3人は学校に行っている時間を選んで、その場に呼ばなかった。もうお葬式は10ヶ月前にイギリスで終わっていてお別れしていたし、骨壷を見せて、お墓に入るところを見せて、また悲しい思いをさせる必要はないだろうと思ったからだ。まだ新生児の末っ子だけを連れ、義理の家族と夫の友達と10人ちょっとの式だった。

ちょっとしたハプニングがあって、誤解があって、牧師の到着が30分近く遅れた。私はなんとも思わなかったが、義母はこれに内心相当立腹していたらしい。あとで聞いた。牧師と葬儀会社の人が前に立ち、私たちの前を歩き、夫の墓地までみんなで歩く。私は久しぶりにみんなの前で朝から号泣した。久しぶりの夫は骨壷に入ってあんなに小さい。

お墓の前で牧師の話があり、それにも泣き、そして、葬儀会社の人が、骨壷をお墓に入れた。その入れ方がなぜか乱暴に見え、そして、骨壷が斜めに入ったように私には思えた。私たちは、そのあと、骨壷の上に白いバラを一本ずつ入れることになっていて、一番最初が私だったが、その骨壷がまっすぐじゃないことが悲しくて、しゃがんでまっすぐにしようと思った。穴は思った以上に深くて、骨壷も重かったのか届かず、すぐに気づいた義理の弟がまっすぐに直してくれた。号泣が止まらない。

なのに、ふと空を見ると虹が出ていた。信じられない。本当に夫が私に寄り添っているような気がした。

後日、墓石が綺麗に建てられ、お墓が完成し、キャンドルを灯すケース、植え込みやお花も綺麗になってから、子供達全員を初めてお墓に連れて行った。何百もある大きなこの墓地で「パパのお墓が一番かっこいい」と子供達が言ってくれた。

私は週に最低2回はお墓を訪れ、キャンドルを灯し、お花を生けた。お墓が綺麗になったら心が落ち着いた。お墓、かっこいいでしょう?私頑張っているでしょう?なんで自分だけいっちゃうの?私こんなに寂しいよ。子供たちともっといたかったよね。ドイツにも一緒に住みたかったよね。 いっぱい心の中で夫に語りかけた。お墓ができる前も話しかけていたけど、綺麗なお墓を目の前にすると少し心が落ち着いた。

お墓を作ってよかった。

あ。ドイツ、というかこの街のお墓の権利は30年ごとに更新らしい。30年後お金を払わなければ、墓石も取り除かれて他の人のお墓になってしまうのだ!ちょっとびっくりです。

ドイツでお墓を作る その2

ドイツでお墓を作ろうと決めた。ドイツの墓地はまるで庭園のように綺麗に整備されている。街には墓地がいくつかあるが、中でも一番街中の人気の墓地に夫のお墓を作りたいと思った。

ドイツのシステムはちょっと変わっていて。住民届けを出す時に、宗教を記入しなければいけない。もちろん無宗教ならそれはそれでいい。私はプロテスタントのクリスチャンなので、そのように記入してある。そうすると、自動的に教会税が差し引かれて教会は潤う。献金に頼るだけではなく、合理的にお金がやり取りされるのだ。とにかく、その教会税を払っていなければ、教会でお葬式や結婚式をすることもできないというので、念のためにクリスチャンとして登録している人が大多数で、教会は潤うのだ。私はこれについては反対派だが、まぁここで論議しても仕方ない。

とにかく、教会税を払っていなければ、教会所有の墓地も買うことができない。そして、私が希望した一番人気の墓地は、教会所有だった。夫はクリスチャンだったが、ドイツを離れてかなりの年数が経っていたので、教会税を払っていない。これを理由に、この墓地から一旦断られた。

ドイツのいいところは、押せば通る、というか、言ったもの勝ちのところがあることだ。夫はイギリスで教会に通っていたことをイギリスの教会の牧師に手紙で証明してもらい、墓地に持っていったら、オッケーになった。こういう例外的なことがよく起こるのがドイツの特徴だ。

ということで、墓地は決まった。2人入れるサイズ、私も将来はここに入ろうと、スタンダードのサイズを選んだ。

こんな悲しいことをまた私は決めていかなくてはいけない。義家族が全てを私の希望通りに任せてくれたのはありがたかったが、墓石も、デザインも、どのようなフォントで名前を刻むのかも、全部私が決めるのだ。

墓石屋を見て回り、お墓を歩いて、いろいろ考えた。どんなお墓にして、どのように骨壷がお墓に入れられたかは、また次にまとめようとおもう。

ドイツでお墓を作る その1

ドイツの夫の故郷に引っ越すことを決め、長女がイギリスの小学校を卒業した後の夏休みに私たちは無事ドイツに引っ越した。この辺のことはまたあとで書くことにして、まずはお墓事情についてまとめたいと思う。

夫はクリスマス直前に急死し、病院に数日置かれ、解剖後、葬儀会社の冷蔵庫に保管された。解剖があったり、年末年始があったりで、結局お葬式は1月に入ってからだった。お葬式まで私はいつでも葬儀会社に行って、彼の顔を見ることができると言われたが、私は、子供達と病院の遺体安置室でお別れをしたので、それ以後はもう見ていない。あの時の綺麗な笑ったような顔のまま覚えていたかった。

お葬式の時、夫は私が選んだ棺に入っていた。棺にもピンからキリまであって、真ん中の値段くらいで私と夫好みの色の木の棺を選んだ。夫の横たわる棺は教会の前に置かれ、綺麗なお花が飾られた。このお花も私が選んだ。夫の死後、この短期間の間だけでも、いったい私は一人でどれだけの決断をしただろう?

お葬式の間、アメリカの映画のように棺の蓋が開けられたりすることはなかった。式の後、棺が運び出され、火葬場に持っていかれた。私は火葬場に行くこともしなかった。そこまで心が強くなかった。

数日後、葬儀会社から連絡があり、私は骨壷を受け取った。私が選んだ骨壷に夫は収まっているのだ。重たかった。でも、イギリスではお骨を家に保管することはできず、お墓が決まるまで、それがたとえ何年かかっても、葬儀会社で保管されることになった。

ドイツにお墓を作る予定だと話すと、それは可能だが、車で運んだ方が、色々と書類的には簡単だと言われた。飛行機で骨壷を移動するには少し面倒だというのだ。でも、面倒でも可能は可能だというので、夫のいない今、私は新生児を抱えて子供4人もいて、ドイツからイギリスまでの車の往復は絶対に無理だと思ったので、飛行機で骨壷を運ぼうと決心した。

お葬式

わたしと夫は遺書を作っていた。子供も3人いたし、家の購入の時に勧められて作っていたのだ。これはイギリスでは割と普通なことだったと把握している。お互い、配偶者が亡くなったら全ての財産を相手に託すこと、そして二人とも火葬を希望した。

夫の遺体は解剖の後、綺麗に縫われ(跡は確認していない)葬儀会社の冷蔵庫に移動された。お葬式までここで保管されることになる。葬儀会社もいくつもあったが、勧められた中で、一番家に近いところを選んだ。葬儀会社の人が家に来て、話し合いが持たれた。不安だったので、義理の弟、親友夫妻、そして教会の牧師さんにも在籍してもらった。

棺選び、火葬された後の骨壷選び、遺体に着せる服を葬儀会社に持っていくことなどが確認された。

お葬式は、家族で通っていた教会で行われたので、それについては別に話し合いが持たれた。生バンド、そして夫が好きだった賛美歌数曲を希望した。ドイツの家族にも日本の家族にもわかるように、アメイジンググレイスも選んだ。お花の手配、そして、当日配るお葬式の流れの紙に載せる夫の写真を選んだ。家族写真の一枚のとっておきの笑顔の写真だ。

事務的に諸々こなしていった。夫に着せる洋服は、いつものジーンズにシャツか、スーツで悩んだけど、スーツにした。ワイシャツにアイロンをかけたのは夫の母だった。スーツとシャツをケースに入れて、わたしは葬儀会社まで歩いて行った。夫が火葬される最後の服をわたしは運んだのだ。

夫の友達、会社関係の人、お世話になった人たちにメールでお葬式のことを伝えた。またまたたくさんの返事とカードとお花が家に届いた。

お葬式当日、わたしは子供達と一緒に一番前の席に座って、夫の棺を見つめた。まるでドラマのように、自分のこととは思えなかった。わたしは妊婦で末っ子を抱っこして、上の子供達二人の手を握って、葬儀に参列した。式の最後で、夫の棺が運び出される時、子供達に「パパが天国に行っちゃうよ。バイバイしよう」ってこそっという余裕もあった。あれはなんだったんだろう。なんであんな余裕があったんだろう。泣いて泣いて泣いたけど、どこか信じられない気持ちだった。

火葬場についていくこともできたけど、わたしは行かないことにしていた。そこは、もう立ち入れないと思ったからだ。そこまで心が強くなかった。次に夫に会ったのは、葬儀会社で、わたしの選んだ骨壷を手に取った時だった。イギリスでは骨壷を家に置いておく事は出来ず、お墓が決まるまで、葬儀会社に骨壷は任せることになった。

人の人生ってなんなんだろう。こんなにもいい人で、こんなにも色んな人に影響を与えて、真面目に生きてきた人がこんなにもあっさりといなくなるなんて。

わたしと夫はクリスチャンなので天国を信じている。夫に会えると信じている。でも、残された人生は長すぎて途方に暮れるよ。

お葬式の後、ドイツから来た友人も加わって、うちに集まった。みんなお酒を飲んで、泣いて、大変な夜だった。私は久しぶりにつわりを感じて、吐いた。夫の母が心配して抱きしめてくれた。

お葬式が終わって、ドイツの家族や友達は帰ってしまった。日本の家族も友達も帰った。いよいよ、私と子供達3人だけになった。

お葬式が終わっても何もひと段落なんてしない。苦悩は始まったばかり。辛さ寂しさ、どうしようもない不安、抱きしめられたい気持ちは止まらない。なんで死んじゃったの。どうして私より先にいっちゃったの。夫だって死にたくなかったはずなのに、私は夫の無念さに心を痛めるよりも、自分と子供達のこれからの日々に対する不安と寂しさで押しつぶされそうだった。