ドイツでお墓を作る その1

ドイツの夫の故郷に引っ越すことを決め、長女がイギリスの小学校を卒業した後の夏休みに私たちは無事ドイツに引っ越した。この辺のことはまたあとで書くことにして、まずはお墓事情についてまとめたいと思う。

夫はクリスマス直前に急死し、病院に数日置かれ、解剖後、葬儀会社の冷蔵庫に保管された。解剖があったり、年末年始があったりで、結局お葬式は1月に入ってからだった。お葬式まで私はいつでも葬儀会社に行って、彼の顔を見ることができると言われたが、私は、子供達と病院の遺体安置室でお別れをしたので、それ以後はもう見ていない。あの時の綺麗な笑ったような顔のまま覚えていたかった。

お葬式の時、夫は私が選んだ棺に入っていた。棺にもピンからキリまであって、真ん中の値段くらいで私と夫好みの色の木の棺を選んだ。夫の横たわる棺は教会の前に置かれ、綺麗なお花が飾られた。このお花も私が選んだ。夫の死後、この短期間の間だけでも、いったい私は一人でどれだけの決断をしただろう?

お葬式の間、アメリカの映画のように棺の蓋が開けられたりすることはなかった。式の後、棺が運び出され、火葬場に持っていかれた。私は火葬場に行くこともしなかった。そこまで心が強くなかった。

数日後、葬儀会社から連絡があり、私は骨壷を受け取った。私が選んだ骨壷に夫は収まっているのだ。重たかった。でも、イギリスではお骨を家に保管することはできず、お墓が決まるまで、それがたとえ何年かかっても、葬儀会社で保管されることになった。

ドイツにお墓を作る予定だと話すと、それは可能だが、車で運んだ方が、色々と書類的には簡単だと言われた。飛行機で骨壷を移動するには少し面倒だというのだ。でも、面倒でも可能は可能だというので、夫のいない今、私は新生児を抱えて子供4人もいて、ドイツからイギリスまでの車の往復は絶対に無理だと思ったので、飛行機で骨壷を運ぼうと決心した。

子供たちと一緒に夫の遺体と対面したときのこと

イギリスの中でもかなり大きな部類に入る総合病院で夫は亡くなり、その病院の地下にある遺体安置室にしばらく眠ることになった。

その前に夫のポケットから鍵やお財布などの所持品と、ずっと身につけていた結婚指輪が私に渡された。このときの感覚や気持ちも、もう覚えてない。パニックを通り越していた。

翌日朝、子供たちに多くを告げずに、友人にも付き添ってもらって、病院の遺体安置室に行くことになった。パパが家に帰って来ていないこと、私が泣き腫らしていたことは明らかだが、5歳と2歳の子供達は、何を想像していただろう。10歳のお姉ちゃんには先に伝えておいた。理解に苦しみ、静かに泣きだしたのを、私は言葉にならない思いで見つめ、一緒に泣くしかなかった。

遺体安置室に入る直前に、「パパは急に心臓が止まって死んでしまったの」と伝えた。「天国に先に行っちゃったんだよ」と。

冷たい冷蔵庫に入れられてても、奇跡が起きて生き返るんじゃないか、とかすかに思っていた。でも、夫の顔を見たら、悲しいというより、夫があまりにも、穏やかでハッピーな顔をして、笑っているように見えたので、「See you later. お先にね」って言われてるようにしか思えなくなった。 本当に、幸せな顔をしてたのだ。5歳の長男が「パパがいないから、もうキャンプに行けない」って最初の一言を発した。「もうすぐクリスマスなのに、パパはクリスマスを祝えない」とも言った。一緒にいた友人が、「きっと天国で大きなパーティーをしてるよ」となんとか答えた。2歳の娘は「ここが天国?この部屋が天国なんだね?」と言った。そのくらい不思議な奇妙な穏やかさもあった。もちろん、泣いたし、悲しいし、それは当然だけど、同時に、夫が人生を駆け足で進んでしまった完結感とも感じられるものもあった。

私は、夫に誓った。絶対にこの子供達3人と、お腹の赤ちゃん、4人の子育てをしっかりやるから、と。夫が誇りに思ってくれるように頑張るから、と。

私は強くなるしかなかった。