結婚指輪つけるか外すか

結婚してから一回も結婚指輪を外さなかった。お風呂の時も家事の時も外したことがない。そういうものだと思っていたからだ。

泥棒事件のところで書いたが、夫の結婚指輪は盗まれた。わたしの婚約指輪は奇跡のように出てきた。石のついた婚約指輪は、やっぱり日常使いにはしにくくて、大切に保管している。

死別しても、わたしはMrsだ。結婚指輪をつけ続けた。結婚式の誓いで「死が二人を分かつまで」と宣誓したが、まさかこんな短く結婚生活が終わるなんて思ってもみなかった。夫の死によって今わたしは書類上、法律では独身、シングルなのだが、結婚指輪をすることによって、わたしは今でも亡くなった夫の妻なのだ、と誇りというか、それがしっくりきた。

それが、死別2年近くなると苦しくなるようになってしまった。左手の薬指に圧迫感を覚え、指輪が目に入るたびに心が痛んだ。

その事に自分で気付いてから、誰にも相談することなく、わたしは結婚指輪を外した。そして婚約指輪と一緒に仕舞いこんだ。

指輪のないことに気づいた子供たちは少しだけ反論した。でも、わたしは、外すタイミングなのだと思った。心が少しだけ軽くなったからだ。何故だかは説明できないのだけど。

夫は私の心の中に住んでいる。私の一部だ。指輪で証明することはない、と思った。いつか新しい出会いがあるかもしれないから、指輪がない方がいいかも、とも思った。またしたくなったら、指輪をまたつければいいのだし、とも思った。

わたしは正真正銘死別シングルマザーだ。

若年未亡人若年死別者の割合

http://shibetu.strikingly.com/

これを見てもらえば、分かるのだが、私のように30代で死別する人は割合でいうと本当に少ない。1万人に4人とかだ。当然、私の周りの知人友人で、若年未亡人はいない。

死別者の集まりに行って、ほとんどが60代以上の人で、浮いてしまったことは以前にも書いたが、とにかく、私は死別して以来、若年未亡人と個人的に話したことは一度もない。一方的にブログや本を読んで共感させてもらっているだけだ。

こんなに稀有で、死別という暗い経験をしている存在だから、普通の人から見たら扱いにくい厄介な存在かもしれないな、と思うことがある。離婚経験者のシングルマザーとシンママならではの悩みを相談し合うことは多いが、やっぱり、死別者と離婚者では、私たちママと子供の傷に少し違いがあって、うまく噛み合わない部分もある。

じゃあ、どうしたいのか?結局、自分の傷は自分で癒すしかないのかなと思う。完全には治ることはない、大きな傷。とりあえず、自分の生活で、小さな目標を立てていこうと思った。ちょっと頑張れば叶えられそうなくらいの目標だ。子供たちとちょっとだけ遠出する、とか、一人でカフェに行く、とか、義父母に子供を任せて、友達と飲みに出かける、とか。

友達が、旦那の不満を言う。みんな私に気を遣ってくれているのだろう、一対一で会っている時に、私に旦那さんの不満を言う友達はほとんどいないけど、グループで会っていると、そういう話も出てくる。子育ての方針の違いとか、ちょっとした誤解から喧嘩になったこととか、旅行先でのちょっとしたハプニングから大げんかになった話とか。何事もないような顔をして、でも、発言することなく平然と聞いて、心で泣く。本当に、心って痛くなるんだな、と実感する。

みんな、いつか旦那さんと死別するか、自分が先に死んじゃうんだよ。私のように、なんの前触れもなく、突然かもしれないんだよ。

心の中で思う。こんな気持ち誰にも味わって欲しくない。でも、私の心をわかってもらうために、味わって欲しいような悪魔の気持ちも一瞬芽生える。恐ろしい。死別しないと分かんないだ。喪主になって、人生ぽんと放り出されないと、分かんないんだ。私の心をわかってくれる人は周りにいない。

だから、ブログや本を読み漁る。これも私にとっては癒しの一つだ。

アイデンティティ喪失

大学卒業して、割とすぐに結婚して、すぐにイギリスに引っ越した。ヨーロッパは夫婦やパートナーでの行動が多い。

パーティーに行くのも、食事に呼ばれるのも、いつも私たちは夫婦一緒だった。〇〇&▽▽。私は夫の名前と一緒にこう呼ばれること、カードにこう書かれることにすっかり慣れきっていた。

夫の死後は、受けとるカードに私の名前しか載ってない。私は一人なのだ。

私は妻としてのアイデンティティを失った。守ってくれる夫はもういない。

急に更地に放り出されたような怖さ。ほぼ専業主婦に近かったからなおさらだ。そして、言葉もできないドイツに引っ越してきたのだから、仕事ができるはずもなく、私は母親としてのアイデンティティだけになってしまった。

どうやって生きて行くのか?子供達をどう育てるのか?いつもいつも心の中で夫に話しかけて、模索する日々。

死別者の集まりに行ってみた

夫が亡くなった病院でカウンセリングや様々な死別者の集まりがあることを聞いた。私の周囲の友人には、配偶者を亡くした人はいなかったので、勇気を出して一つの集まりに行ってみた。

教会のホール、日本でいうと公民館のようなところで、平日の午前に月2回ほど行われている死別者の会だった。ボランティアで運営されていて、参加するのにお金はかからない。

妊娠後期に入った私が、その部屋に入ってみると、私は明らかに異質な存在だった。イギリスの死別者の会。平日の午前。まず参加者は20人もいなかった。そして、アジア人は私のみ。そして、どうみても明らかに私が最年少。ほとんどの人は、私の祖父母の年代じゃないか?と思うほどだった。次に若い人でも60手前くらいの人だった。

一応自己紹介で、夫が亡くなった状況と、自分の近況を喋った。

みんな同情してくれたけど、優しかったけど、その日、その時間、私は得るものがなかった。知らない人の前で自分の状況を喋ることが疲れた。こういうグループは向いてないかもな、と思った。

それとは別に、カウンセリングのような形で、週に1回イギリス人の女性が病院から派遣されて、私とおしゃべりに来てくれることになった。これは、助けになった。1時間ほどお茶を飲みながら、我が家のリビングで毎週彼女に近況報告して、涙する時間は癒しになった。

ある時、彼女が、同じ町に、私と同年代で、同じく妊婦で、最近未亡人になった女性がいるといった。そして、私はその人に会いたいか?と聞かれた。深く考えずに、「はい」と答えたが、その後、その彼女のことを聞くことはなかった。きっと、その彼女の方が、私には会いたくなかったのだろう。

同じ若年未亡人といっても、それぞれ状況が全然違う。

重い病気で、死ぬのが悲しいけど予想されていた場合、交通事故や我が家のような突然死の場合、そして、経済的な状況の差や、義理の家族や子供達との関係、死別前の夫婦の関係などなどによって、死別後の感情にも、向き合い方にも差が出てくる。

そして、グリーフ、喪失感は、人それぞれなのだ。一人一人違った形で、向き合うとてもプライベートなものだ。

私は必死で、死別者のブログや本を読み漁った。そして、自分自身も日記のようなものをつけ始めた。

死別して、孤独感を感じることが増えた。子供といても、友達と居ても、孤独だ。夫に心の中で話しかけるが、返事はない。玄関やリビングのドアが開くたびに、夫が帰ってくるような錯覚や幻想を見た。

夢だったらいいのに。こんな悪夢を背負って生きていくのは苦しすぎる。死別者の集まりに行っても孤独感は変わらなかった。

ルークペリーの死

若い頃、大好きだったドラマが「ビバリーヒルズ高校白書」「ビバリーヒルズ青春白書」だ。このドラマを何度も見て英語を勉強した。高校生とは思えない、キラキラしたアメリカのリッチな学生たちのドラマ。なかでもひときわ色っぽかったのが、ディランだろう。

そのディランを演じた役者、ルークペリーが53歳の若さで急死した。

https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-47448666

私はソーシャルネットワークで、複数の「未亡人グループ」に入っている。その中の一つのグループで、一人のアメリカ人女性が「今日はもうネットを見たくない。ルークペリーが53歳の若さで亡くなったとみんな騒ぐけど、私の夫はそれよりも15歳も若く亡くなったの。53まで生きて欲しかった」とコメントした。

人の悲しさは比べられない。分かってはいるけれど、特に若くして配偶者を亡くしたら、襲いかかる悲しさと、理不尽さと、不公平さを感じて、心がとても敏感に、そして時として、みにくくなってしまう。

夫を亡くして以来、人の誕生日を祝うたびに心が痛くなる。夫の誕生日はもう来ないのに、こうやって、他の人は歳を重ね、お祝いできる。なんて世の中は不公平なんだろう。

こんな悲しいことが起こって、私は人の悲しさがわかる優しい人間になれるかもしれないと思ったこともあったけど、実際は、人を羨み、自分を可哀想に思うことの方が多い。傷つき、落ち込み、人を妬み、自分を憐れむ。そして、夫の無念さを思う。

ルークペリーにも子供が二人いたようだ。また、婚約者もいたという。(子供の母親とは別れている)残された家族の気持ちを思う。これから続く、長く暗いトンネル。いつか光が見えるのか?と思っても、なかなか見えない。

目の前の数時間、そして半日、そしてその日一日のことだけをなんとかこなしていくことしかできない。愛する人を失った後の喪失感は、相当なエネルギーを要する。私もまだまだその途中だ。そして、これはきっと一生続くのだろう。形を変えて、それさえも私の一部になって。

ルークペリーの人生と残してくれたたくさんの作品に感謝して、残されたご家族の気持ちを想いたい。

夫が亡くなる前日

私たちはイギリスに住んでいた。珍しく雪が積もった寒い冬の日。会社のクリスマスディナーに行ったんだ。つわりできつかったけど、おしゃれして出かけた。なのに、私たちは引き返した。慣れない雪道で、運転に不安を覚えたからだ。同僚の多くも急遽キャンセルする人が多かったし、私は、もともと夫の会社のパーティーに同席することに乗り気ではなかったから、まぁいいか、と軽く考えた。夫は残念そうだった。せめてと思い、帰り道に、美味しいチーズを買った。

家に帰ったら、息子がぐずった。夫は私と一緒に寝たそうで、私が息子と寝ると言うと寂しい顔をしたけど、私は息子とそのまま寝てしまった。

最後の夜だったのに。一緒に夫とベッドで眠るべきだったのに。


ブログ開設

最愛の夫が急死した。まだ40代になったばかりなのに。私もまだ30半ばなのに。小さな子供もいて、私は末っ子を妊娠中なのに。ジョギングやスイミングをやって、健康そのものだったのに。

若年未亡人、死別シングルマザー、という言葉でいくつもネット検索する日々。苦しくて苦しくて。

私もブログを書いてみようと思う。