夫の写真をどう飾るか

夫が亡くなった時、お葬式のパンフレット、と言うかなんて言うんだろう?これって。お葬式に来てくれた人に、式の内容、そして賛美歌の歌詞を書いたパンフレットのような小冊子を配ったのだが、その表紙のために使う夫の写真選びに随分時間をかけた。(夫の死後のことは以前にも書いたが、クリスマスがあったり、解剖があったりして、夫の遺体は長いこと冷凍庫に入れられていたので、お葬式まで2週間以上の時間があったのだ)

今考えたら、あまりのショックでおかしかったのかもしれないとおもう。不思議な精神状態。コンピューターに収まっている数千枚の写真を見返して、夫が一番よく写っているいい写真を必死で探した。涙することもなく、義務感のような責任感のような思いで、まるで仕事のように一番いい写真を探した。イギリスの家ではコンピューターはダイニングテーブルの隣にあった。私が必死で写真を探している様子を、滞在していた義理の両親と義理の弟はどんな思いで眺めていたんだろう?

お葬式のパンフレットには、夫が笑顔で写っている亡くなる1年ほど前に撮った写真を選んだ。明るすぎるほどの笑顔だ。

そして、後日、よく着ていたジーンズとセーターで写った、夫が一人笑顔で立っている写真を数枚印刷して、同じ黒の写真たてに入れた。そして、我が家に一つ、義理の両親の家に一つ、義理の弟たちにもそれぞれ一つずつあげた。皆、リビングやキッチンなど、毎日目の入るところに飾ってくれている。我が家には、その写真以外にも、子供達との写真、私との2ショットなど、他にも写真がまだまだ飾られている。以前のブログでも書いたが、自分の指の結婚指輪を見るのが辛くて、指が苦しくて、いつか外してしまったときのような気持ちを最近感じる。夫の写真が多すぎるかなとも思い始める。黒の写真たての一つだけを残して、他の写真はだんだん収納してしまうべきかな、とも思う。でも子供たちが悲しむかな、とも思う。だけど、当時のまだ小さな子供達、若くて幸せいっぱいの私の笑顔、それを見るのが辛いのも正直な気持ちだ。

私の心はアップダウンが激しい。写真を穏やかに見れる時もあれば、苦しくてどんと凹む日もある。もう毎日は泣かないけど、泣くときはお風呂でギャンギャン泣くとスッキリする、ということも体で覚えてしまった。

さぁ、写真、これからどうしようかな。増えたりして。笑

いや、増やすことは、もうないな。やっぱり一枚だけにしようかな。子供たちの部屋にそれぞれあげようかな。

悩む。

結婚指輪つけるか外すか

結婚してから一回も結婚指輪を外さなかった。お風呂の時も家事の時も外したことがない。そういうものだと思っていたからだ。

泥棒事件のところで書いたが、夫の結婚指輪は盗まれた。わたしの婚約指輪は奇跡のように出てきた。石のついた婚約指輪は、やっぱり日常使いにはしにくくて、大切に保管している。

死別しても、わたしはMrsだ。結婚指輪をつけ続けた。結婚式の誓いで「死が二人を分かつまで」と宣誓したが、まさかこんな短く結婚生活が終わるなんて思ってもみなかった。夫の死によって今わたしは書類上、法律では独身、シングルなのだが、結婚指輪をすることによって、わたしは今でも亡くなった夫の妻なのだ、と誇りというか、それがしっくりきた。

それが、死別2年近くなると苦しくなるようになってしまった。左手の薬指に圧迫感を覚え、指輪が目に入るたびに心が痛んだ。

その事に自分で気付いてから、誰にも相談することなく、わたしは結婚指輪を外した。そして婚約指輪と一緒に仕舞いこんだ。

指輪のないことに気づいた子供たちは少しだけ反論した。でも、わたしは、外すタイミングなのだと思った。心が少しだけ軽くなったからだ。何故だかは説明できないのだけど。

夫は私の心の中に住んでいる。私の一部だ。指輪で証明することはない、と思った。いつか新しい出会いがあるかもしれないから、指輪がない方がいいかも、とも思った。またしたくなったら、指輪をまたつければいいのだし、とも思った。

わたしは正真正銘死別シングルマザーだ。

泥棒にやられた 後編

なんだか色々あってすぐに更新できなかったけど、続きです。

その夜は結局、夜中の1時近くまで来てくれた友達と話しこみ、ショックを分かち合った。続きや色々な片付け、保険会社への連絡などは翌日にすることにしてその日はなんとかおしまい。

下の子供二人は疲れてソファで寝てしまった。2階の寝室は足の踏み場もないほど荒らされていて寝れるような状態ではないので、私と長女はリビングにエアマットを使って、なんとか2時過ぎに就寝。

翌日は、警察チームが10人近く朝8時過ぎから来てくれて、指紋を探したり、色々なことが行われた。他の友達も来てくれて、6、7人で家の片付け、掃除を丸1日かかってやった。保険会社に電話して、家の鍵も変わることになった。

子供たちは友達の所に行って、私たちはひたすら家で作業。当初は翌日のドイツ行きをキャンセルしようかと思ったけど、別にそれもバカらしい気がして、行くことに決定。

そして奇跡が起こった!神様本当にありがとう!なんと私の一番欲しかったもの、婚約指輪が見つかったのだ。アイロン台の下にあったのを見つけたのは私。まるで天使が上から落としたみたいに、急に出てきたみたいに見つかった婚約指輪。嬉し泣きした。でも、探しても探しても、祈っても、夫の結婚指輪は見つからない。

警察によると、同じ手口でやっている、17歳から24歳くらいの男のグループだろうとのこと。証拠がなく、現行犯でないことから、なかなか逮捕にいかないそうだけど、捕まって欲しい。

とりあえず、盗られたものは、
夫の結婚指輪
私の真珠のピアス
私のブレスレット
現金は、長女の貯金箱から150ポンドくらい、夫のお財布から70ポンド、引き出しから日本円5万円、30ポンド、そして、今回はたまたま沢山あったユーロが800ユーロ!

現金は証明するのが難しいらしく、保険会社によって違うらしいけど、結局250ポンドしか戻ってこなかった。

夫の結婚指輪には、私の名前と結婚の日にちが刻まれている。警察は、地元の新聞にも記事を出すことを提案。名前や写真は無しでお願いしたけど、未亡人が夫の指輪を盗まれたので、どこかの店で目にしたら警察に知らせるように、という記事だ。他にも色々なツテを利用して探す事を約束してくれたが、結局出てこなかった。

そして、全てのドアの鍵が替わったのはその日の19時半過ぎだった。なんとか翌日はドイツへのホリデーに行けそうだ。

今回の旅行中は警察がパトロールを強化すると約束してくれたし、盗られてほしくないプライベートなもの、車の鍵も親友のおうちに預け、隣の家族には家の鍵を渡して、毎日カーテンの開閉や電気をつけたり消したりすることをお願いした。

それにしても、本当に参った。凹んだ。まだ夫が亡くなって2ヶ月ちょっと。家中に、お悔やみのカードが飾られていて、この家で誰かがなくなったばかりのことは、わかるはず。それなのに、こんなひどいことをする人がいる。悲しすぎる。私は一番大事な夫の形見になるはずだった結婚指輪を失ってしまったのだ。

泥棒にやられた 前編

夫が亡くなって3ヶ月になろうとする頃、イギリスの学校でハーフタームと呼ばれる、学期の半ばのお休みの時期がやってきた。気分転換にもなるし、私も安定期だったし、飛行機に乗ってみんなでドイツの義理の両親の家に行くことにした。夫がいないのに、ドイツ語もできないのに、身重で子供達3人を連れてドイツまで行くのは無謀な気もしたが、空港も遠くないし、飛行機も1時間程度だし、夫が亡くなってからというもの、義理の家族との距離が縮まったのを実感していたから、子供達にとってもいい休みになるだろうと思った。

出発は月曜日だ。その直前の金曜日に、長女の小学校で劇の発表会があった。長女も役がちゃんとある。下の子供たち2人と歩いて小学校に行って、劇を楽しんで、長女も一緒にみんなで歩いて家に戻った。その頃には、もう日が落ちていた。

イギリスの家は古い家が多い。我が家も然り。緑色の古い玄関のドアを開けると、入ってすぐのゲストルームが散らかりまくっているのが目に入った。一瞬だけ、え?地震?と頭をよぎったが、ここはイギリス。地震はないはず。そして、リビングに入ってびっくり。荒らされまくっている。ソファもクッションも床に落ち、ありとあらゆる引き出しは開けっ放し、急いでキッチンに向かうと、キッチンのドアが壊されて半開きに。

間違いなく泥棒が入ったのだ。

5歳の末っ子は金切り声で泣き出し、10歳と7歳の子供たちも怒り泣き出した。

私はすぐに、自分の寝室に向かった。家の中で一番価値があるもの、私にとって一番大切なもの、夫が私にくれた婚約指輪と、夫の結婚指輪を探しに行った。

が。なかった。この時点で私は床に座り込み泣き出してしまった。そして、警察に電話。2ヶ月半前に夫が急死したこと、小さい子供たちが3人いて、私は妊婦であること、一番大切な婚約指輪と夫の残した夫の遺品でもある結婚指輪がなくなっていることを伝えた。

警察は5分以内で来てくれた。友達夫婦にも電話。二組の夫婦が来てくれた。

続きはまた明日書きたいと思う。