引きこもり生活15日目(土曜)

お天気が良くて本当に気持ちいい。こんなに気持ちいいのに、公共の場でのピクニックやバーベキューも今は禁止。庭やバルコニーでやる分にはいいので、来週にでもやりたいな。お友達が家でのバーベキューの様子をインスタグラムにアップしていて、食べたくなった。

お昼は冷凍のパイ。また手抜きだ。そのあと、末っ子とサイクリング。上の3人はだらだら家で過ごす生活にすっかり慣れて、部屋着から着替えるのも面倒らしい。なんてこった。やっぱり私がたまにだらけているからかもしれない。

午後は即席卓球セットをダイニングテーブルに取り付けて、子供達と卓球。3年前のクリスマスに子供達にプレゼントしたのが、今役に立つ!

そのあと、義父母と長電話。義父母は本当にコロナを心配している。とにかく健康で長生きしたいという意思が強い人たちなのだ。私はちょっとだけ、意地悪な気持ちになる。息子は突然死したのに、自分たちは健康で楽しく生きているのに、もっともっともっともっと長生きしたいというのか、と思ってしまう。私はやっぱり悪い。優しい人間じゃない、と反省する。義母のいろいろな心配や、呆れる発言を黒い気持ちで聞き流す。いつもお世話になってるし、基本的には私は仲がいいし、好きだけど、たまに、義母には好きになれない部分がある。70も十分に超えているのに、いつまでも少女のように振る舞い、発言するところを、たまに軽蔑する。今日の私は毒があるな。ストレスかな。こういう自分に気づくと、私はすぐ、神様に反省して謝る。やっぱり私は弱い。

夜ご飯は、子供たちも全員大好きなキッシュ。具は、ネギと茄子とマッシュルームとトマトだ。

夕食後は、家族で卓球トーナメント。人数多いと、こういう時は盛り上がる。今日は数回大きな兄弟喧嘩があったけど、明日は仲良く過ごせるといいな。

引きこもり生活10日目(月曜)

もう10日も子どもとしか時間を過ごしていないなんて信じられない。友達と騒ぎたい。

朝から義母から電話。携帯の調子がおかしいから、いつか見て欲しいという。うちの長男がそういうのに強いからやってほしいと。私にも子どもにも会えないから、私が来ると連絡すれば、玄関の前に携帯をおいておくという。本当に、とことん怖がっていて、ほぼパニックだ。

という私も、最近ずっとコロナの記事ばかり読んで、どんどん落ち込む。自分でちょっと制限しないといけないな、と思う。だけど、イタリアでも、イギリスでも60歳以上の患者は集中治療室に入れる余裕がないとか、自宅に送り返される、とか、限りある人工呼吸器を若い人に回して行く、とか聞くたびに本当に落ち込む。しかも、看護される間も、スタッフも医者も防護服だ。人の温かみを感じることもなく、会話もされることもなく、本当に不幸に亡くなってしまっても、家族は来る事も出来ず、感染の危険があるから普通のお葬式さえできないという。こんな悲劇があるだろうか。

夫が亡くなってから、夫は病院の遺体安置室の冷凍庫にかなり長いことはいっていた。クリスマスや年末があったし、解剖もあったからだ。でも、そのおかげで、ドイツからの家族もお別れをいう事も出来たし、私たちは「いつでも会いにきていいですよ」と言ってもらえた。袋に入っていて、私たちがくるときは顔の部分だけ出してくれていたのだけど、私が手を握りたい、触りたい、と言ったら快く出してくれた病院のスタッフ。ちゃんとお別れが言えた、大切な時間。突然死だったから、受け入れるのに相当時間がかかったけど、あのときは、まだ信じられない状態だったけど、あの時間はとても貴重だった。

コロナだったらそれも出来ない。

本当に本当に早く収まりますように。祈るしかない、毎日。

朝は買い出しに出かけた。ふたつのスーパーを回ったが、今日はトイレットペーパーがどちらにもなかった。うちには十分あったので必要はなかったのだが、先週よりも厳しさを感じた。大きな方のスーパーでは、買い物カートのハンドルがスタッフによって毎回消毒されていた。

昨日のトンカツが残っていたので、子供達はカツサンドをお昼に、私はご飯とふりかけで軽く済ませた。

夜ご飯は子どもたちの大好きなラザニア。

そして、DVD「塔の上のラプンツェル」を見た。なんでも、ラプンツェルの出身の王国の名がコロナ王国、ラプンツェル自身も塔の上に監禁されていたことから、「まさかこれはコロナの予言?」とネットで話題になっていると、長女がいうからだ。笑 見つけた人すごいな。

オンラインでドイツ語を勉強したり、ダンスのステップを自主練したりしている。ネット環境が整っていて、本当に良かった。それにしても、本当に大変なことになっている。悲しい。

突然死だったため解剖されることに

夫はイギリスで健康診断を、そして日本でも2年に1度くらいの間隔で人間ドックを受けていた。それなのに、突然死してしまった。太っていなかったしお酒も人並み程度しか飲まなかった。

夫の心臓が取り出されて検査されることになった。ここで私の意思は聞かれなかったように記憶している。子どもに遺伝する可能性もあるから、大きな心臓専門の機関で検査するとのことだった。

わたしは笑顔の死に顔の夫の身体にメスが入ることに抵抗を覚えた。「綺麗に縫ってくれますか?」と聞いた。ちゃんと綺麗にします。と答えてくれた。

数日後検査結果が出た。

死因は左心室肥大。

遺伝子の突然変異か何かが起こって心臓に異常をきたし、あっという間に逝ってしまったのだ。

死因が分かっても夫は帰ってこない。心電図では分からなかったけど超音波を取っていたら異常に気づけたらしい。でも健康だったからそんなことしてなかった。

後悔しても恨んでも夫は帰ってこない。

子供たちと一緒に夫の遺体と対面したときのこと

イギリスの中でもかなり大きな部類に入る総合病院で夫は亡くなり、その病院の地下にある遺体安置室にしばらく眠ることになった。

その前に夫のポケットから鍵やお財布などの所持品と、ずっと身につけていた結婚指輪が私に渡された。このときの感覚や気持ちも、もう覚えてない。パニックを通り越していた。

翌日朝、子供たちに多くを告げずに、友人にも付き添ってもらって、病院の遺体安置室に行くことになった。パパが家に帰って来ていないこと、私が泣き腫らしていたことは明らかだが、5歳と2歳の子供達は、何を想像していただろう。10歳のお姉ちゃんには先に伝えておいた。理解に苦しみ、静かに泣きだしたのを、私は言葉にならない思いで見つめ、一緒に泣くしかなかった。

遺体安置室に入る直前に、「パパは急に心臓が止まって死んでしまったの」と伝えた。「天国に先に行っちゃったんだよ」と。

冷たい冷蔵庫に入れられてても、奇跡が起きて生き返るんじゃないか、とかすかに思っていた。でも、夫の顔を見たら、悲しいというより、夫があまりにも、穏やかでハッピーな顔をして、笑っているように見えたので、「See you later. お先にね」って言われてるようにしか思えなくなった。 本当に、幸せな顔をしてたのだ。5歳の長男が「パパがいないから、もうキャンプに行けない」って最初の一言を発した。「もうすぐクリスマスなのに、パパはクリスマスを祝えない」とも言った。一緒にいた友人が、「きっと天国で大きなパーティーをしてるよ」となんとか答えた。2歳の娘は「ここが天国?この部屋が天国なんだね?」と言った。そのくらい不思議な奇妙な穏やかさもあった。もちろん、泣いたし、悲しいし、それは当然だけど、同時に、夫が人生を駆け足で進んでしまった完結感とも感じられるものもあった。

私は、夫に誓った。絶対にこの子供達3人と、お腹の赤ちゃん、4人の子育てをしっかりやるから、と。夫が誇りに思ってくれるように頑張るから、と。

私は強くなるしかなかった。

夫がいなくなった日〜夫が亡くなった

私が病院に着いたのは19時ちょっと前だったと思う。焦る私に、受付の人が「そんなに慌てなくても大丈夫だから」と私をなだめる。彼女は夫の症状なんて何も分かってなかったのに。

処置室に入るとすぐに、これは只事ではないと分かった。夫の着ていたシャツはハサミで切られ、夫は機械に繋がれ、心臓マッサージやら電気ショックやらを受けていた。一緒に付き添ってくれた友達と私は祈ることしかできない。状況もつかめない。私がそばに行けば夫の状態は良くなるはずだと、病院への道中はずっと信じていたのに、本当に、本当に危うい状態なことが分かった。ここからの記憶は、もうあまりない。

20時半過ぎ、夫の臨終が言い渡された。スタッフの目には涙も見えた。

夫は教会の中で、あっけなく倒れたらしい。教会内に医師がいて、すぐにマッサージを始めてくれたらしい。そして、雪にもかかわらず、救急車は2分もかからずに来てくれたらしい。それなのに、それなのに、健康だった40代の夫が急死した。どうすればいいんだろう、どうすればいいんだろう、私は、そればかり言っていたような気がする。

クリスマス直前、私は妊娠5ヶ月30代半ばで小さい子供達を抱えて、未亡人になってしまった。