引越しを決める

話が少し前後して申し訳ないが、ドイツに引っ越すことを決めたことを書いておこうと思う。これまでの日記にも書いたが、10年以上暮らし、友達はいっぱいいるけれど、外国人として夫のいないイギリスに残るのか?はたまた、言葉はできないけど、夫の家族や友達のいるドイツに引っ越すべきか?で私の心は揺れていた。

この時点で、不思議なことに、私にも子供達にも日本に行くという選択はなかった。毎年春か夏には日本に帰省していて、私の母親も時々イギリスに来ていて、子供達の日本語は会話はオッケー、私の両親との関係も良好だった。ドイツの方はといえば、一年に一度数日帰省する程度で、子供達のドイツ語はほぼゼロ、私も全くできない状態で、ドイツの家族とは片言のドイツ語と英語でなんとか取り繕っている状態だった。それなのに、日本に行くという選択はなかった。いや、それだから、なかったのかもしれない。

日本の家族や友達と私と子供達の関係は変わらない。これからもずっと。でも、ドイツの家族はどうだろう。夫がいない今、日本やイギリスに住んだら、夫の家族との関係はますます希薄になるだろう。夫がいないからこそ、夫の家族の近くにいたいと思った。夫の影響や存在をずっと感じていたいと思った。そして、生まれてくる赤ちゃんのためにも、父親を全く知らないで生まれてくる子供のためにも、パパの存在をドイツの家族から感じてもらいたいと思った。

お墓の場所も決めなくてはいけない。イギリスにしたら、ドイツの夫の家族や友達はなかなか訪れることができないだろう。ドイツの故郷にするべきだろう。それなら、私たちもお墓の近くにいたいと思った。

イギリスに残るのか、ドイツか日本に引っ越すのかについて、一から考えてみた。

イギリスに残ると、私と子供達の日常生活の変化はそれほどない。友達もいるし、ネットワークもあるし、学校を変わる必要もない。このまま同じ家に住んで、会社からの遺族年金とシングルマザーの福祉で生活できる。日本にもドイツにも今まで同様帰省できるだろう。でも、ドイツの家族との関係が薄くなるだろう。

ドイツに引っ越すとなると、子供の学校の心配、言葉の問題、家探しなどなど不安面がたくさんある。だけど、夫の家族や友達がいる。ドイツはイギリスと同様、子供達の学校はすべて無料、イギリスと違って大学までドイツは無料だ。経済的にも、問題なく生活できるだろう。

日本に引っ越すと、子供達は漢字を学ばなければならない。もう10歳だった長女にはちょっと酷かなと思った。学費もかかるし、私も親の力を借りてフルで働くことになるだろう。そして、ドイツやイギリスに遊びに行くことは、きっと年に1回は無理だろう。何よりも、ハーフの子供たち4人をシングルマザーとして日本で育てていく勇気がなかった。夫の存在が全くなくなってしまうことが怖かった。

死別などの大きな経験をして、心の中が普通の状態ではない時に大きな決断をするべきではない、と色々な人に言われたし、本でも読んだ。少なくとも一年は環境を変えるべきではないと。

でも、私は、死別して辛いからこそ、もっと辛いこと、もっと大変なこと、もっとチャレンジなことを自分に課すかのように、ドイツへの引越しに心が動いていた。

そんな時に起こった、先日の日記にも書いた、泥棒事件。そして、その直後に遊びに行ったドイツでの体験。(長女の学校問題があっさり解決したのだ。それについては後日書く)

数ヶ月すれば、長女がイギリスの小学校を卒業する。そのタイミングでドイツに引っ越そうと決めた。とりあえず2年は住んでみよう。辛くても頑張ろう。そして、2年経ってダメだったら、イギリスに戻ろう。イギリスの持ち家は残しておこう。そういう逃げ道を作って、私と子供達はドイツ移住に向けて準備を始めた。夫が死別してわずか3ヶ月で心の中は決まった。

夫が天国で信じられないと笑っているような気がした。夫を驚かせてやろう。誇りに思ってもらおうと思った。

シングルマザーの経済事情

私は週にわずか数時間しか働いていなかった。夫が大黒柱だった。夫が急死して困ったのは、夫の名前の銀行口座が全て凍結してしまった事だ。死亡したら一時的に凍結してしまうことなど知らなかった。私と夫の銀行口座は二人の共同名義で、一つしかなかった。その口座が凍結してしまい、支払いも引き落としもできなくなったのだ。銀行にも夫の死亡証明書を持参して説明しに行った。一時的に家族からお金を借りた。

夫の会社の直属の上司が私を訪ねてくれた。お悔やみの言葉をくれ、涙を浮かべて、会社として力になることがあればやるから、というような励ましの言葉をくれた。数日後、人事部の方と一緒に再び来てくれて、会社の年金や保険金の話を説明してくれた。銀行からもアドバイスを受けることができた。とりあえず夫の会社からの保険金と月々の遺族年金で生活できそうだ。そして、イギリスは福祉が充実していた。シングルマザーになった途端に、数百ポンド(月に当時日本円で5万程度)の補助が出て、さらに、税金なども免除されることになった。このままイギリスに残れば、経済的には心配がないかもしれないと思った。イギリスは大学を除いて学費も医療費も無料だ。

夫の友達が、「こういうことを言うと不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、シングルマザーになったら社会福祉があるし、彼がなくなってしまったから、彼にかかっていたこれまでの食費や洋服も買わなくていいし、経済的にはそうそう心配することないよ」と私に言った。一家から大人が一人減ったのだ。静かな悲しみと寂しさと、でも、奇妙に納得する気持ちだった。私たちは5人家族から4人になったのだ。そして、お腹の子供が生まれてきたらアンバランスな5人家族にまたなるのだ。アンバランス。アンバランスだという思いが常にあった。両親が二人いて、子供がいる普通の家族だったのに、大人一人に子供がたくさんのアンバランス家族になってしまった。私一人にのしかかってくる責任の大きさがこわい。重すぎる。

当面の経済的な心配がなくなったと思った途端に、私は将来設計について考え始めた。このまま外国人としてイギリスに残ることは、私たちにとって最善のことなのだろうか?外国人の身で福祉にお世話になって、このまま住み続けることに対して、反感を持たれることはないのだろうか?そんな不安がうかんだ。友人たちは、「シングルマザーの福祉は受けることができる当然の権利。これまで十分に税金を払っていたのだから負い目を感じることはない。反感を持つ人は、どこにでも少数いるかもしれないが、気にすることはない」と口を揃えて言った。

夫はドイツ人。私は日本人。子供達3人はハーフ。そして、もうすぐ父親を知らずに生まれてくるお腹の子供。私たちはこれからどのように生きていくべきなのだろうか?そして、夫のお墓はどこに作るべきなのだろうか?夫の骨壺はずっと葬儀会社に保管されていた。

「悲しみのどん底にあるときには大きな決断をするべきではない。」「少なくとも一年間は大きな変化をするべきではない。」というアドバイスをいくつも受けた。それでも私は、悲しみから目を避けたいかのように、これからの私と子供達の生活、人生について頭を悩ますことが多くなった。

こんなにもストレスの多い日々なのに、お腹の赤ちゃんは順調に成長していた。出産準備も必要だ。まさかの4人目だったので、ベビーベッドから何からなにまで、また新たに調達しなければならない。

シングルマザーはこうやって日々なんとかこなしていくだけで、鍛え上げられてしまう。強くなくても、強くなってしまう。こんな自分がかわいそうだと思う余裕もなく、ただただ、目の前の数時間のこと、その日のこと、だけに集中してこなしていく日々だった。常に心の中に、お墓をどこにするべきか、私たちはどこに住むべきか、という悩みを抱えながら。