24時間で487人のコロナ死者

コロナパンデミック以来、最悪の数。ドイツ国内で、24時間にコロナで亡くなった人が487人にもなったという。毎日毎日増え続ける新規感染者数も毎日17000人以上だ。

日本とは桁が違いすぎる。

どうしてだろう?どうして?

ドイツの医療システムはしっかりしていると実感している。人口あたりの病院のベッドの数も集中治療室のベッドの数も日本より多いほどだと読んだ。

真面目な国民性で、大半の人はルール、コロナ規制を守って、気をつけて生活している。

それなのに、この数。そもそもの遺伝子の問題?

クリスマス直前から元旦の日まで、ドイツではコロナ規制が緩和される。老人ホームで暮らす人が家族にも会えずに寂しい思いをしたりすることがないように、一人暮らしの人が家族友人に会えるように、という配慮だろうが、今は、2世帯最大5人までしか集まれないのに、その期間は、世帯数に関係なく10人まで集まることができるようになる。

1月2月の数は絶対にもっと上昇するだろう。ウイルスはクリスマス状況知らないもんね。

今の所、夫の家族とは、今年のクリスマスは一緒に食事はしない、どこかに一緒に散歩に出かけて外で会いましょう、ということに決めた。

ほんと、前代未聞のクリスマスになる。あっという間に12月。この2020年のことを忘れることは絶対にないだろう。

夫はこんな世界情勢のことも知らないんだなぁ。いっぱいいろんなことがあったな、夫が亡くなってから。夫の知らない家に住み、夫の知らない友達と会い、夫の知らない服を着て、夫の知らない末っ子を育て。月日の流れを感じる。12月はきついな。今月は命日もある。

引きこもり生活2日目(日曜)

日曜の朝。昨夜の時点では久しぶりに教会に行こうかなとも思っていたけど、大勢の人と会うのもためらわれるし、結局寝坊で、今日もまた引きこもり。あとで、教会のホームページを見たら、今日は一応礼拝はあったけど、聖餐式(ホーリーコミュニオン パンとワインをいただく 私たちはプロテスタント、教会によって頻度は異なり、うちでは月に一回のみ。カトリックだとこれは絶対大事で毎週だと聞いた)はなくて、なるべく接触しないように、献金のかごも回さなかったそうだ。コロナ対策徹底している。来週からは礼拝自体が行われるかどうか定かではないそう。

ドイツ人友達とワッツアップ(ラインのようなもの)でたくさんやりとり。コロナウイルス関係のニュースばかり。正直、コロナに関しては、日本のニュースをずっと追っていたので、もう1月からほぼ毎日読んでいて、情報量で頭が痛くなりそうだ。あんまり読みすぎて心配しすぎるのも精神的に良くないな、と思い始めている。

とはいえ、ドイツは本当に、みんなあっという間のことに焦っていて、オロオロしている。イタリアやスペインのように、病院がパンクして国が一大事にならないように、とにかく全ての社交が自粛になりそうだ。明日からはスイス、オーストリア、フランスとの国境が閉ざされ、全ての劇場、映画館、スポーツクラブ、美術館などが閉鎖になるという。バーやクラブももちろん閉鎖。レストランが閉まっていくのも時間の問題じゃないかと思う。

さすがドイツ人。自粛と言われれば徹底するし、論理的に理解して対応しようとする。私もプライベートのカレンダーが全て白紙になってしまった。

お昼は餃子、夜は冷凍してた牛ミンチと茄子であんかけ。なんかミンチばかり食べたな。

家でのレジャー、DVDは、我が家の定番、もう何十回も見ているけど、ハイスクールミュージカル、今日は2を選択。末っ子がいっぱい甘えてきて可愛かった。

4人目の出産は水中出産 前編

色々ありながらも月日は経ち、臨月になった。日本から母親が手伝いにきてくれ、出産準備にとりかかった。イギリスでの出産も4回目だ。イギリスの医療は国営で全て無料。出産も無料だが、そこは外国、日本とはいろいろなことが異なるらしい。私はイギリスでしか子供を産んでないので、いい意味でも悪い意味でも比べられないのだが、とりあえず私のこれまでの出産を思い出してみる。

一人目:初めてのことで不安で、陣痛が10分間隔になった時点で即病院へ。でも、まだ子宮口がそんなに開いてなく、先が長そうだということで、病院内を散歩するように言われる。何時間も夫と院内を散歩し、陣痛に堪え、それでもお産は進まず、疲れのみがピークに。結局、お医者さんの勧めで、無痛分娩に切り替え。陣痛と疲労の中、麻酔の同意書にサイン。自分で最後はいきめるように8割くらいの麻酔をされた。麻酔が効いたら痛みはぐっと減ったが、会陰切開もされた。子供は元気で、夫が立ち会いへその緒を切ってくれた。イギリスの病院は、当時、帝王切開なら3泊くらい、そうでなければ1泊くらいで家に帰るのが普通だった。赤ちゃんがお医者さんに点検を受けて、ママがオムツ替えや母乳をあげることなどに慣れたら、家に帰されるのだ。その後は、助産婦さんと保健婦さんが毎日家に来てくれて、赤ちゃんの体重を量ったり、ママの相談に乗ったりしてくれるシステムだ。そんな中、私は、6人部屋で一番長く滞在した。3泊だ。毎朝看護婦さんが、「もう帰れそう?」と私に聞き、「いや、まだ自信がないです」と答えた。とにかく麻酔の後の身体の回復がきつくボロボロだった。6人部屋で6人のママと6人の赤ちゃんが同室だ。基本は出産直後からママがずっと赤ちゃんの世話をしなくてはいけないのだ。いつも音はするし、病院の部屋は落ち着けるものではなかった。食事も全く量が足らず、日本人の友達が毎日届けてくれる日本食がなかったら、ちゃんと母乳も出なかったかもしれない、と思うほどだった。それでも、私はまだ若く、色々不安で長く滞在したのだった。とはいっても3泊だけど。

二人目:正直一番記憶にないお産なのだが、陣痛がピークの時に「やっぱり無痛分娩にしたいです」と訴えたら、「もう遅すぎるわよ」と言われ、笑気麻酔(イギリスでは一般的、ガスを自分で吸う)だけで乗りきった。会陰切開はされなかったが、少し裂けた。やはり、夫が立ち会いへその緒を切ってくれた。2回目だけに夫が落ち着いていたのを覚えている。1泊して翌日には退院した。上の子供のことが心配だったし、家の方が落ち着けると思った。

三人目:経産婦だし、予定日より早まるとなぜか信じていたのに予定日を1週間超えても、全然出産の気配がなく、とにかく動くように言われた。散歩して、階段を上り下りして、公園でシーソーに乗ったりもした。結局10日遅れで出産となったのだが、一番小さい赤ちゃんで、とにかくお産が楽だった。痛み止めも麻酔も何も使わず、下が切れることもなく、出産後1時間もたてば、立って歩くことができるほどだった。結局24時間以内に退院した。一番楽なお産だった。やはり、夫が立会い、へその緒も切ってくれた。

そして今回の四人目の出産。夫はいない。もう四人目だし、三人目の出産はすごく楽だったし、私は一人でタクシーで行って一人で産んで来ようと思っていた。イギリスではバースプランといって、自分の希望する出産計画を書くのだが、その時にも、なるべく痛み止めや麻酔を使わずに立ち会いもなしで、と書いていた。が、その後、いろんな友達や友人に、「一人じゃ不安だろうし、誰かいたほうがいい」「もし私でよければ立ち会うよ」と言ってもらった。結局、イギリス人の友達に、私が希望するときまで一緒にいてもらうことをお願いして、そして、できれば、出産プールを使いたいと希望した。

イギリスは無料だが、陣痛を耐える部屋と出産の部屋は同じで、個室だ。お風呂も各部屋についていて、自分の好きなように部屋を使える。これまでの出産で、お風呂に入ると陣痛が和らぐことを実感していたので、できれば、そのまま水の中で産みたいかもしれないと思ったのだ。

私の街の病院には水中出産できる個室が2つあった。お産が始まった時点で、その部屋が空いていれば使えるということだった。

続きはまた後編で。

夫がいなくなった日〜夫が亡くなった

私が病院に着いたのは19時ちょっと前だったと思う。焦る私に、受付の人が「そんなに慌てなくても大丈夫だから」と私をなだめる。彼女は夫の症状なんて何も分かってなかったのに。

処置室に入るとすぐに、これは只事ではないと分かった。夫の着ていたシャツはハサミで切られ、夫は機械に繋がれ、心臓マッサージやら電気ショックやらを受けていた。一緒に付き添ってくれた友達と私は祈ることしかできない。状況もつかめない。私がそばに行けば夫の状態は良くなるはずだと、病院への道中はずっと信じていたのに、本当に、本当に危うい状態なことが分かった。ここからの記憶は、もうあまりない。

20時半過ぎ、夫の臨終が言い渡された。スタッフの目には涙も見えた。

夫は教会の中で、あっけなく倒れたらしい。教会内に医師がいて、すぐにマッサージを始めてくれたらしい。そして、雪にもかかわらず、救急車は2分もかからずに来てくれたらしい。それなのに、それなのに、健康だった40代の夫が急死した。どうすればいいんだろう、どうすればいいんだろう、私は、そればかり言っていたような気がする。

クリスマス直前、私は妊娠5ヶ月30代半ばで小さい子供達を抱えて、未亡人になってしまった。

夫がいなくなった日〜病院に行くまで〜

週末だった。特売セールで買った牛ミンチでミートソースを作って、お昼にスパゲティと一緒に家族みんなで食べた。めずらしく、美味しくなかった。本当に美味しくなかった。「美味しくないね、特売のこのミンチ、変なのかな?」と苦笑いしながら、それでもみんな食べた。夜ご飯は手巻き寿司にするから、それは楽しみだね、美味しいサーモンも手に入ったしね、と言いながら。

この不味いミートソーススパゲティが夫の食べた最後の食事になった。大後悔で、本当に申し訳ない。

夕方、夫はいつも私たちが通っている地元の教会に出かけて行った。私はつわりで寝込んでいたし、子供達と家に残った。「バイバイ」と送り出したものの、車までは見送らなかった。アイラブユーも言わなかった。

夫が出かけて1時間も経たずに、私の電話が鳴った。夫が倒れて救急車で運ばれたというのだ。救急隊員が私にいろんな質問をしたけど、もう詳しくは覚えてない。ただ、この数日飲んだ薬はあるか?と聞かれ、その日市販の風邪薬を飲んだ、と答えたことは覚えている。とにかく出来るだけ早く病院に向かってくれ、とのこと。夫が車を持って行ったので、私はタクシーで病院に向かった。イギリスで雪は珍しく、ノロノロ運転で気が焦った。病院からまた携帯に電話がなった。

すごく悪い予感がする。祈り続けた。