付き合うまでのプロセスに困惑

バツイチの例の彼とキスをしてから、ほぼ毎日のように短い時間でもあっている。お茶をしたり、ご飯に行ったり。そして、家に帰っては「ドイツ 付き合い プロセス 告白」などとググっている。

というのも、これって、もう付き合っているのかな?というのが分からないからだ。もちろん、お互い好意があるのはわかる。だけど、どういうスタンスでデートしているのか、今後どうしていきたいのかという話になっていないのだ。

久しく恋愛してないし、同じドイツ人と言っても、夫と会ったのは日本だったし、お互い若かったし、変な障害などもなかったし。

今回はお互い大人。子持ち。バツイチと死別。キスを重ねて、デートを繰り返して、でも、どうなの?これに将来性はあるの?と、一人悩み。。再婚したいとか、そういうことじゃないんだけど。私って面倒くさいかな?

ドイツ生活の長い日本人友達にいろいろ相談したところによると、こっちは、告白→デート→キスというよりも、デート→キス&エッチ(!)→友達や親に紹介される→付き合っていることの確認(告白?)という順番が割と普通だというのだ。衝撃。

私は、それは嫌なのだ。別に生娘を装っている訳でも、自分を高値にしているつもりも、もちろんないけど、ちゃんと付き合っているという確認がないと、このまま進めない。

明日は聞いてみるつもりだ。怖いな。でも、下手に進んでしまって、向こうは真剣に付き合うつもりがなかったら、もっと嫌だもんね。なかなか難しい。

夫以外の男性とのキス

自分でもびっくりしているのだが、恋に落ちてしまった。ワクチンが進み、コロナ規制がほぼなくなって、日常が復活したこの夏。気持ち的にも色々あって、なかなかリアルタイムでブログに書くことができなかった。。。。本当は、こういうことこそ、即書くべきなんだろうけど。。

この夏は、ドイツにいた。子供達と国内で小さなホリデーをしたけど、基本はこっちにずっといた。そして、前に書いた、友達に紹介されたバツイチの彼と定期的に会うことが増え、好きだな、思ってしまった。2週間ほど前、ご飯を食べに行った帰り、ついにキス!!!!思わず確認してしまった私「ほかに、いないよね?」 もしかしたら、他にも同時で誰かと会ったり、デートしたりしてるかもしれないし、そういう関係の人もいるんじゃないかと、思ってしまったのだ。。。汗

「誰とも付き合ってないし、キスしたのも3年ぶりくらいだよ」という彼。

とりあえず、じゃあ、私のことも好きなんだなと、両思いになれた喜びを感じた。死んだ夫の笑顔が浮かんだ。都合よく解釈しただけかもしれないけど、この人ならいいんじゃない?と言われてるような気がした。 

英語圏の人の死別関係の本では、新しい出会いや、人のことを、「チャプター2」ということが多い。第2章。。と。。死別した相手が第1章で、新しい次の人を第2章だと。

これは、どうも私的には、まだピンとこない。死別した夫は私の一部で、もう私の中に夫が含まれている感覚なのだ。私自身が、もう前の私とは違っている。今後、私の気持ち、この彼の気持ちがどうなっていくのか、子供たちはどう反応するのか。など、色々、怖い。

まだ子供たちには伝えていない。まだ始まったばかり。どうなるか、自分でもわからないし。

久々に酷い映画を見た 笑

雪遊びで疲れ、オンラインホームスクールに疲れ、下の子供達は早く寝てしまうし、ティーンの子たちは部屋にこもるし、私の夜のひとり時間はとても長い。

また映画でも見ようと、アマゾンプライムで検索。簡単に楽に見れるのがいいなぁと探して、ピンと来たのが、これ。「恋とスフレと娘とわたし」前半30分は面白く見れた。

娘3人のうち上の2人は結婚。死別して娘を1人で育て上げた主人公は、もうずっとシングルで、娘たちと濃厚な関係を保つ。悪く言えば、すごい干渉。末っ子に彼氏がいないことを気に病み、娘の彼氏作りに奮闘する。

わたしも娘が3人いるし、3人とも性格が違うし、わたしとの関係も違うし、大人になってこんなになんでも話し合えて、いっぱい時間を過ごせたら楽しいだろうなーという気持ちで見ていたが、だんだん話が現実離れしていく。

末っ子には急にタイプの正反対の2人のイケメン彼氏ができ、なぜか結構長いこと二股を続け、2人から本気で愛される。そして、主人公の母親にも彼氏ができる。

ところどころ、品のないジョークやウケ狙いの場面があったりで、なんとも言えない気持ちになる映画だった。

せっかくだから最後まで見たし、女優さんも皆綺麗でよかったけど、久しぶりに「こりゃ酷いな」という感想の映画を見てしまった。

この数年で見た映画で、わたしの中でのベストは「ジョーカー」だ。わたし、やっぱり、もっと重たいテーマの映画が好きなのかも。

今夜は、わたしの大好きな「レミゼラブル」を娘と見る予定。楽しみだなー!

今日も泣く

長女と折りが合わず、今日も泣いてしまった。長女とは本音で話し合えるが、その分、衝突も多い。なにせ私と性格が正反対。彼女は完璧主義だし、相当な努力家だし、頑固でど真面目だ。悪くいえば融通性がなく、人に誤解もされやすい。

死別したら、どうしても亡くなった人を美化してしまうものだが、長女も、父親のことを完璧に尊敬している。私と衝突するたびに、娘は父親のいない辛さにぶち当たる。そして私も夫のいない辛さを痛感する。共倒れだ。

夫だって厳しい面はあったから、反抗的な娘をしかったはずだと思うのだが、娘の中ではパパは完全に優しいパパのままで残っている。

どうしたって私には分が悪い。私はママであり、パパの役割もしつつ、一家をまとめていかなくてはならない。長女はしっかりしている分、ついつい頼ってしまって、かわいそうなことをさせていると分かっているのだが、だから、こうやって子供らしく反抗しているのは悪いことではないと分かっているのだが、心が折れる。疲労する。

同じシングルマザーでも、離婚の場合だったら、特にこちらでは、子供達はパパと十分に時間を過ごせるので(週末は父親のところで過ごす。週の半分は父親と住むなど)そういう難しい面も協力したりできるのかなーと想像する。別の難しい面はあるとは思うけれど。

ティーンエイジャーは難しい。ホルモンのバランスと、コロナのストレスと。

寂しくて泣く夜&死別の悲しい統計

子育てってうまくいかないなぁ。反抗的だけならまだしも、兄弟喧嘩が頻繁すぎて、なんとも生意気で、かと思ったら覇気がないんじゃない?というような子供達に囲まれ、本当にたまに本気でイライラする。ホームスクールだし、友達とも遊べないし、みんなのストレスもピークなのかもしれない。雨も多いしなぁ。

なんだか、本当に寂しくて、私、一人で何やってるんだろう?なんで夫はいないんだろう?と久しぶりに結構泣いた。泣いたらスッキリしたけど、目が痛い。

そして、フェイスブックで死別に関する統計を見てしまった。アメリカの死別者向けグループのページが発表したものだ。

「毎年80万人の人が配偶者と死別しているって知っていましたか?そのうちの70万人が女性だと知っていましたか?多くの死別者が貧困に苦しんでいると知っていましたか?配偶者との死別はストレスレベルで最高のレベルとみなされていることを知っていましたか?配偶者と死別した60%の人は12ヶ月以内に大きな病気をすることを知っていましたか?死別経験者のほとんどが睡眠障害に苦しむことを知っていましたか?ほとんどの死別経験者は75%のサポートを配偶者を亡くした後失うことを知っていましたか?ほとんどの死別経験者が、一年以内に配偶者の家族や親戚と関係が希薄になることを知っていましたか?配偶者を亡くした悲しさから、本当に死に至るケースもあることを知っていましたか?配偶者と死別した30%の人は、6ヶ月以内に大きな死の危機にあっています。周りの死別経験者に優しくしてください。彼らがどんな苦しみを一人で味わっているか想像もつかないでしょう」

というメッセージだ。

私は妊婦だったし、夫の実家の近くに引っ越してきたので、夫の家族とは希薄になるどころか関係は密になったが、睡眠障害は当てはまるし、歯も抜く羽目になったし、ストレスレベルは本当に最高だった。

今日のように子育てで疲れ悩み、一人泣く夜。夫が恋しい。

コロナ増加中 秋休み

秋休み中だけど、遠出もしないで、おとなしい毎日を送っている。コロナが増えてきているのだ。周辺のヨーロッパ諸国に比べると、ドイツはまだ保たれている方なのだろうが、確実に第2波がきていると思われる。

子供達とボードゲームをして、DVDを見て、のんびり読書をして、たまに散歩やサイクリング。好きなだけ眠って好きな時に好きなものを食べる。

私、以外にインドア派かもしれない。友達とも随分集まっていない気がするが、なんだか大丈夫だ。義父母には頻繁に会ってるからかな。

音楽家の彼とは、あれから、もう一回友達含め4人で会いました。友達の家で、サルサと音楽談義。難しい話も出てきたけど、退屈することなく聞くことができました。

今日は薄暗く小雨模様。上の子供達は友達と会うというので、下の子供達を連れて、久しぶりに夕食は外食にしようかなと思っているところ。

そうそう、ずっと書くことが躊躇われて、遅くなってしまったけど、昨日、ようやくイギリスの知人にお悔やみのカードを送りました。数日前がお葬式だったそうです。ありきたりの文章じゃ、同じ死別者として、ちょっと足りないかな、と思ったり、でも、悲しみはそれぞれなのだから、お節介なことも書けないし、すごく悩みました。ただ、悲しみを想像すると言葉が見つからずに、すぐにカードを書けなかったこと、これからの寂しさを思うと胸が痛むこと、もしも、吐き出したい想いや何かあったらいつでも連絡ください、ということだけを書きました。死別直後なんて、その日1日を生きるので一生懸命だった。その日その日、目の前の数分を頑張って過ごすことでいっぱいいっぱいだった。本当に、人が亡くなるって悲しいことだ。寂しい。

ちょっとイラっときたこと

心が狭いのかもしれない。私は死別してからさらにわがままになったのかもしれない。だけど、悲しさよりも、イラっときてしまった自分にも自己嫌悪だ。

イギリス時代の日本人知人からメッセージがきたのだ。数回お話ししたことがある別の日本人女性のご主人が1週間前に倒れて亡くなったというのだ。56歳。大学生のお子さん達と奥さんを残されてあっという間に亡くなったと。

すぐに思ったのは、たとえ私は数回しか会ってなくても彼女のことをなんとなく覚えてるし、あちらが覚えてないとしても、カードは送ろうかな、これから大変だろうな、本当に残されたご家族のことを思うと心が痛いな、ということだった。

そういう気持ちを知人に簡単に返答したところ、彼女から、「あなたの旦那様が亡くなった時、どういうことをしてもらったら嬉しかった?」「どんなことが助かった?」「もうお悔やみを言いに行ってもいいだろうか?」から始まって、私も今でも辛い思い出を思い起こしつつ、人によって全く違うだろうなと思いつつも、私の経験を簡単に述べた。

そこまではまだ良かったのだが、「ところで、ご主人の死因ってなんだったの?」「高血圧だったんだっけ?」「亡くなったばかりの人も、持病とかなかったらしいの。不公平よね」というメッセージ。

これら3つのメッセージが辛くて、デリカシーにかける気がして、既読無視してしまった。半日。

どうも彼女も言いすぎたと思ったのか、「遠くからだけど応援してます。大好きです」ときたけれど、「ありがとう」とだけしか返事できなかった。

私はもう死別して数年経っているけど、こういうダイレクトな質問は大丈夫な時と大丈夫じゃない時がある。雰囲気によっては、全然大丈夫で、どんどん話してしまいたい時もある。雰囲気、タイミング、相手との親密度によって全然違う。

心が敏感になりすぎているな、とは思う。

それにしても。海外で、ご主人に急死され、お子さん達はもう家を出ていて。まだ50代だろうと思われるその方もこれから辛い日々が続くことだろう。お葬式もこの状況でとても小規模なものになるのだろう。心が揺れる。

今日印象に残った言葉

Do what’s right for you. No one else is walking in your shoes.

自分が思ったことをやればいい。あなたの人生なのだから。

後半直訳すれば、「他の人は誰もあなたの靴を履いて歩いているわけじゃないんだから」となるだろうか。この方がしっくりくる。

ヨーロッパに住んで長くなる。欧米はやっぱり、日本よりも個人主義。それでも、周囲の意見に心揺れたりすることは、ある。

死別して、若くして、普通ではない人生を歩むようになってから、いろんな人にいろんな意見を言われることがある。アドバイスのつもりで。親身になって。の人がほとんどだけど、時々、ちょっと高圧的な人や批判的な意見を聞くこともある。(あった)

だけど、これは私の人生。

誰も私の人生を歩いてない。私の経験をしてない。気持ちも悩みも涙も私のもの。だからやっぱり自分で思ったように生きていくしかない。

死別3年でプロポーズは非情なのか?

https://otekomachi.yomiuri.co.jp/news/20200818-OKT8T234245/

読売新聞の悩み相談に寄せられた悩みだそうです。

死別3年の男性が、その後新たな恋人に恵まれ、プロポーズしたところ、彼女に、3年はまだ供養期間のはず、などと言われて断られたという話のようです。

まだ早い、いや、早くない、などといろいろな意見が寄せられたそう。

死別のストーリーは人それぞれ。環境、子供の有無、幸せな結婚生活だったかどうか、病死だったのか、急死だったのか。残された人の性格、年齢。

誰も何もいえないなぁと思います。でも、そのプロポーズされた恋人は、一番近くで彼を見ていたはずなのに、断ったということは、彼はまだ再婚の段階ではないと彼女が判断したのか、彼女自身が、亡くなった奥さんに対しての気持ちに整理がついてないのかもしれないとか、色々想像してしまいます。

私自身は、もうとっくに7回忌も終え、死別3年目くらいからは、恋人が欲しいと近くの人には宣言していますが、実際はまだまだ夫を忘れられないでいます。

フェイスブックでアメリカ人中心の死別の会に入っているのですが、死別して1ヶ月未満で、新しい人とデートして、混乱して帰ってきた。まだその段階ではなかった。というような投稿が時々あって、そういうのを見ると、「いや、1ヶ月は幾ら何でも早すぎるだろう。ありえないだろう」と思ってしまいます。でも、もしかして、ずっと長い闘病生活があったのだとしたら?もう何年にも渡って心の準備ができていたのだとしたら? 色々想像します。

人との出会いはどこにあるかわからない。どこに運命の人がいるか分からないのですものね。

死別後割とすぐに、新しい恋愛相手に恵まれる人も、私のように、望んでいても、なかなか縁がない人もいる。

プロポーズを断られてしまったその男性が失敗した点があるとすれば、彼女はまだ彼との結婚を考える段階ではなかった、ということに気づけなかったところでしょうか。もしくは、彼女は彼を愛するがあまり、想像力が働きすぎて、自分といつか死別しても、また彼は3年あまりで他の人と再婚するかもしれない、と怖くなったのでしょうか。どちらにしても、お互いそこまで相手を思えていたのなら、よりオープンになって、交際が続いていくといいなぁ、と、基本楽観的な私はそう思います。

死別したばかりの人へ

私は死別してもう数年が経っている。数年経てば悲しみが去り、死別の苦しみを乗り越えているんじゃないかと思う人がいるかもしれない。そうであってほしいと思う人がいるかもしれない。何年もこんなどん底の気持ちのままで生きていけないと思っているだろう。

まさか死別して結構な年月が経っても、大泣きする日があり、号泣する日があり、心にグッと刃を刺されたような痛み、悲しみ、虚しさ、空虚さを覚える瞬間が今でもある、と知ったらどう思うだろうか?

私たちは死別の苦しみから逃れることはできない。乗り越えることなんてできないのだ、と私は実感している。

たとえ、恋人ができたとしても、再婚したとしても、子供達と周りの人たちとの関係やいろんなことが大方うまくいっていたとしても、私はずっと夫を恋しく思い、失った悲しさを自分の中に持ち続けるのだ。

愛する人がいないのに、持って行きどころのない愛。それが死別の悲しみかと思う。

でも、言えることは、その悲しみは形を変えるということだ。大きい日もあるし、小さい日もある。柔らかく愛しい日もあるし、強く鋭い日もある。

そして、だけど、日々は残酷で、私を成長させる。いやが応にもだ。自分の気持ちに敏感になり、悲しみと少しずつ自分なりに向かい合えるように、いつか、きっとなる。時間やプロセスはそれぞれだろうけど。

夫が生きていた頃、私は1、2週間先のことまでプランして、全ての準備が頭の中、もしくは実際に仕上がっている状態だった。子供が3人になってからは、むこう3日のことを考えるのに必死だった時期もあるけれど、だいたいうまくスケジュールをこなせていけることが多かった。

死別して2年くらいまでは、明日のことまで考えることができなかった。大きな予定(弁護士に会う約束とか子供の病院の予約とか)はちゃんと頭に入れるようにしていたけど、自分の予定、子供達の幼稚園や学校のことなどは、本当に考えられなかった。向こう2時間くらいを目標に生きる日々だった。とりあえず、その数時間過ごそう、生きよう、という日々。そして、だんだんと、明日のこと、明後日のことまでプランする余裕ができてきたように覚えている。

英語では one day at a time、とりあえず1日を頑張って過ごそう、みたいに励まされることが多いが、死別した時に one minute at a time、本当に目の前の少しの時間、わずか1分をとりあえず乗り越えよう、というように励まされることが多かったのを覚えている。

全てを投げ出したくなる瞬間があると思う。もう逃げてしまいたい、終えてしまいたいと思う日があると思う。でも、目の前の少しの時間を踏ん張って過ごそう。その繰り返しでいいのだと思う。大きなことを成すことができなくても、夢が変わっても、愛する人がそばになくても、瞬間瞬間を過ごし、次の日のことだけを考えて、なんとか1日過ごせれば、そういう日々が続けば、いつか、自分の死別の悲しみと向き合い、共存できると思える日がくると思う。

偉そうにアドバイスしていると聞こえたら申し訳ないけれど、そういう意図はないけれど、なぜかこういうことを書きたくなった。月曜は色々週末のことを思い、私は割と落ちる。