ちょっとイラっときたこと

心が狭いのかもしれない。私は死別してからさらにわがままになったのかもしれない。だけど、悲しさよりも、イラっときてしまった自分にも自己嫌悪だ。

イギリス時代の日本人知人からメッセージがきたのだ。数回お話ししたことがある別の日本人女性のご主人が1週間前に倒れて亡くなったというのだ。56歳。大学生のお子さん達と奥さんを残されてあっという間に亡くなったと。

すぐに思ったのは、たとえ私は数回しか会ってなくても彼女のことをなんとなく覚えてるし、あちらが覚えてないとしても、カードは送ろうかな、これから大変だろうな、本当に残されたご家族のことを思うと心が痛いな、ということだった。

そういう気持ちを知人に簡単に返答したところ、彼女から、「あなたの旦那様が亡くなった時、どういうことをしてもらったら嬉しかった?」「どんなことが助かった?」「もうお悔やみを言いに行ってもいいだろうか?」から始まって、私も今でも辛い思い出を思い起こしつつ、人によって全く違うだろうなと思いつつも、私の経験を簡単に述べた。

そこまではまだ良かったのだが、「ところで、ご主人の死因ってなんだったの?」「高血圧だったんだっけ?」「亡くなったばかりの人も、持病とかなかったらしいの。不公平よね」というメッセージ。

これら3つのメッセージが辛くて、デリカシーにかける気がして、既読無視してしまった。半日。

どうも彼女も言いすぎたと思ったのか、「遠くからだけど応援してます。大好きです」ときたけれど、「ありがとう」とだけしか返事できなかった。

私はもう死別して数年経っているけど、こういうダイレクトな質問は大丈夫な時と大丈夫じゃない時がある。雰囲気によっては、全然大丈夫で、どんどん話してしまいたい時もある。雰囲気、タイミング、相手との親密度によって全然違う。

心が敏感になりすぎているな、とは思う。

それにしても。海外で、ご主人に急死され、お子さん達はもう家を出ていて。まだ50代だろうと思われるその方もこれから辛い日々が続くことだろう。お葬式もこの状況でとても小規模なものになるのだろう。心が揺れる。

コービー選手亡くなる

息子がバスケをしているので、昨夜遅くに知ったニュースはとても驚いた。まだ41歳。しかも13歳の娘さんも一緒に。

本当に人の命は儚い。

私の夫が急死した時、夫は43歳だった。私は当時妊娠中で、いま、結局娘3人と息子1人を一人で育てている。コービー選手の奥さんは、最愛の旦那さまと娘さんを亡くして、ほかの娘さん3人と暗闇を歩いていくのだ。亡くなったコービー選手、娘さんの無念さと悔しさはもちろん、残されたご家族のことを想像し、苦しくなる。

人の命は儚い。

いま、反抗期の子供たちの相手をしている。衝突したくないから、なるべく会話したくないと思うこともある。でも、家を出る時、行ってきます、行ってらっしゃいの挨拶の後には、みんな「ラブユー」とつける。

どんなに喧嘩してても、まるで気持ちが込もってないように聞こえたとしても、我が家の子供達と私は「ラブユー」と言うのだ。

夫が亡くなった日、私はつわりで寝込んでいて、バイバイは言ったけど、ちゃんと「愛してる」と見送れなかったからだ。

そのことを、子供達は知ってるか知ってないか、確認したことはないけれど、みんな「ラブユー」を頻繁に言う。

人の命は儚い。だから、家族が喧嘩しても、反抗期でも、機嫌が悪くても、結局根底では「愛してる」んだよ、と伝えたい。

同級生が亡くなった

大きな高校だったので、彼女とは喋ったこともないし、顔も覚えていない。だけど、名前はなんとなくピンとくる。

脳の病気で急死されたらしい。ソーシャルネットの同級生グループで知った。

同級生が亡くなる。結婚し、子供さんもいたらしい。

せつない。悲しい。人生ってなんだろう。ちゃんと生きてても幸せでも不幸せでも、真面目でも悪くても、死は公平に訪れない。不条理で虚しい。

私はクリスチャンだ。日々祈りで救われる部分が大きい。

彼女のこと、残されたご家族ご友人のことを想う。

落ち込む

助かる人もいるのに

前の記事で書いた友人のご主人のお葬式も無事に終わったそうだが、私は遠すぎて行くことが出来なかったことが無念だ。ずっと彼女のことを考えていてブログの更新も怠っていた。

さっきドイツ人友達に会ってお茶をした。彼女の友人が健康診断で心臓の欠陥を発見され緊急手術して、無事に回復しているという。素晴らしいことだ。

だけど。

人間ドックも健康診断も受けていた私の夫はあっけなく死んだ。友人のご主人も急死した。

助かる人もいるのに。

全く不公平で不条理だ。

今夜も眠れそうにない。

友人の旦那様が急死された

悪い知らせが入った。この数年は会えてなかったけど、親しくしていた友人の旦那さまが亡くなったというのだ。

まだ40代。子供も欲しかったのに恵まれないと悩んでいた。でも、夫婦とても仲が良かった。同級生夫婦。

知らせがメールで入った瞬間、私は死別したあの当時、あの最初の数日の感情が呼び起こされ、自分でも驚くほど号泣した。とにかく、友人がかわいそうだと思った。私と同じような、あんなショック、そしてこんなにハードで険しく寂しい感情を彼女も味わうのかと思ったら、とにかくかわいそうでかわいそうで、涙が止まらない。

どうして、こんな不公平なことが起こるのだろう?人生はあまりにもアンフェアで、ハードだ。

たまたま長女だけ家にいて、号泣する私を慰めてくれた。私は「○○さんがかわいそう、かわいそう」と何度も繰り返し、昨日は何も手につかなかった。心も身体もすっかり疲れてしまった。

昨日、今日と、この件で色々な友達と話をしたのだが、感情にみんな少しずつ温度差があるのを感じた。当然なことなんだろうけど。やっぱり私が一番動揺したらしい。そして、大切な旦那さまを亡くしたばかりの友人も、私と話したかった、と言ってくれた。

私は、最近は、嫉妬と妄想と妬みで、黒い感情ばかりで生きているような気がしていたが、やはり死別を通して、死別体験者にしか分からない痛みを想像できる優しさも少しは身につけたのかもしれない、と少しだけ思った。

友人が痛みを吐き出せる相手になれればいい。人生は苦しい。

長女と長男セラピーを受ける

怒りがちな私より穏やかなダディが好きだったように思える長女と長男。当時末っ子だった3番目は私にべったりのママっ子だったけど。

長女10歳、長男7歳の時に大好きなダディがいなくなった。長女は静かに泣くことはあっても大泣きしたことは、少なくとも私の前ではなかった。死別してちょっと月日が経っても、一人号泣する私に気づいて、私と一緒に泣くのは長男の方だった。

長女は引っ越しも新しい学校もドイツ語のレッスンもこなして、弟妹たちの面倒もみて、いわゆる良い子だ。

長男は大好きなイギリスの友達と離れ、ドイツの小学校生活に軽くカルチャーショックを受け、荒れた。小児科の先生や学校の担任の勧めもあって、10回程度のセラピーを受けることになった。様々な精神的トラブルを持つ子ども達専用のセラピストだ。

まず私が先にセラピストの診療所に行き状況を説明した。所長の先生は夫よりちょっと年上の穏やかな方だった。でも先生が言うには、「僕がセラピーを担当することもできるけど、一見その方がいいように思うかもしれないけど、パパと同年代の男性だと、息子さんは逆につらいと思う。だから若い女性セラピストが合うと思う」とのこと。プロの決定に任せることにして、息子の最初のセラピーのセッションはわたしも同席した。若いセラピストの女性は明るく息子に話しかける。ゲームをしたり絵を描いたり、お喋りして月に数回1時間ずつ通うのだ。私には言えない感情や、自分自身でも処理出来てなかったダディとの別れの辛さ、引っ越しへの不満など、ちょっとでも気持ちが整理されればいいと思った。セラピー自体は楽しい時間らしく、行きたくないと言ったことは一度もなくすべてのセッションが終了した。延長するかどうかは私と息子本人次第というので、また将来的にお世話になるかもしれないけど、一旦おわらせた。サッカークラブにも入り、ドイツ語も上達して本人もこちらに馴染んできたのがわかる。とりあえず様子みだ。

そして。ここにきて思いがけず、長女がセラピーを受けたいと自分で言い出した。学校の先生で大好きな先生がいて、いいセラピストを紹介されたというのだ。長男がお世話になった所とは違う場所の中年女性セラピストだ。まだ数回しか通ってないが、娘はすごくセラピーの時間を大切にしているのが分かる。私もそのセラピストと1対1で定期的に会うのだが、長女の性格や学校の友達、周囲の人間関係をすっかり把握していて、人見知りな長女がここまで色々喋っていたことにポジティブに驚いた。

そのセラピストとの2回目の私の面談中に、私は自分の醜い本音をこぼしてしまった。他のママ友に対する嫉妬だ。すっと涙を落とし、訴える私に「きっと貴方もセラピーが必要ですよ」と彼女は優しく言った。

だけど、わたしは行きたくない。またもう一回全てを知らない人に話すのは疲れるし、まだ末っ子にも手がかかり、自由な時間はない。子供たちがセラピストにお世話になっているのに、そして、だからこそ良さも分かるのだけど。

ここに吐き出すことや、他の方のブログや本を読むことが私には今は向いてるとおもう。

夫がいなくなった日〜夫が亡くなった

私が病院に着いたのは19時ちょっと前だったと思う。焦る私に、受付の人が「そんなに慌てなくても大丈夫だから」と私をなだめる。彼女は夫の症状なんて何も分かってなかったのに。

処置室に入るとすぐに、これは只事ではないと分かった。夫の着ていたシャツはハサミで切られ、夫は機械に繋がれ、心臓マッサージやら電気ショックやらを受けていた。一緒に付き添ってくれた友達と私は祈ることしかできない。状況もつかめない。私がそばに行けば夫の状態は良くなるはずだと、病院への道中はずっと信じていたのに、本当に、本当に危うい状態なことが分かった。ここからの記憶は、もうあまりない。

20時半過ぎ、夫の臨終が言い渡された。スタッフの目には涙も見えた。

夫は教会の中で、あっけなく倒れたらしい。教会内に医師がいて、すぐにマッサージを始めてくれたらしい。そして、雪にもかかわらず、救急車は2分もかからずに来てくれたらしい。それなのに、それなのに、健康だった40代の夫が急死した。どうすればいいんだろう、どうすればいいんだろう、私は、そればかり言っていたような気がする。

クリスマス直前、私は妊娠5ヶ月30代半ばで小さい子供達を抱えて、未亡人になってしまった。

夫がいなくなった日〜病院に行くまで〜

週末だった。特売セールで買った牛ミンチでミートソースを作って、お昼にスパゲティと一緒に家族みんなで食べた。めずらしく、美味しくなかった。本当に美味しくなかった。「美味しくないね、特売のこのミンチ、変なのかな?」と苦笑いしながら、それでもみんな食べた。夜ご飯は手巻き寿司にするから、それは楽しみだね、美味しいサーモンも手に入ったしね、と言いながら。

この不味いミートソーススパゲティが夫の食べた最後の食事になった。大後悔で、本当に申し訳ない。

夕方、夫はいつも私たちが通っている地元の教会に出かけて行った。私はつわりで寝込んでいたし、子供達と家に残った。「バイバイ」と送り出したものの、車までは見送らなかった。アイラブユーも言わなかった。

夫が出かけて1時間も経たずに、私の電話が鳴った。夫が倒れて救急車で運ばれたというのだ。救急隊員が私にいろんな質問をしたけど、もう詳しくは覚えてない。ただ、この数日飲んだ薬はあるか?と聞かれ、その日市販の風邪薬を飲んだ、と答えたことは覚えている。とにかく出来るだけ早く病院に向かってくれ、とのこと。夫が車を持って行ったので、私はタクシーで病院に向かった。イギリスで雪は珍しく、ノロノロ運転で気が焦った。病院からまた携帯に電話がなった。

すごく悪い予感がする。祈り続けた。