死別3年でプロポーズは非情なのか?

https://otekomachi.yomiuri.co.jp/news/20200818-OKT8T234245/

読売新聞の悩み相談に寄せられた悩みだそうです。

死別3年の男性が、その後新たな恋人に恵まれ、プロポーズしたところ、彼女に、3年はまだ供養期間のはず、などと言われて断られたという話のようです。

まだ早い、いや、早くない、などといろいろな意見が寄せられたそう。

死別のストーリーは人それぞれ。環境、子供の有無、幸せな結婚生活だったかどうか、病死だったのか、急死だったのか。残された人の性格、年齢。

誰も何もいえないなぁと思います。でも、そのプロポーズされた恋人は、一番近くで彼を見ていたはずなのに、断ったということは、彼はまだ再婚の段階ではないと彼女が判断したのか、彼女自身が、亡くなった奥さんに対しての気持ちに整理がついてないのかもしれないとか、色々想像してしまいます。

私自身は、もうとっくに7回忌も終え、死別3年目くらいからは、恋人が欲しいと近くの人には宣言していますが、実際はまだまだ夫を忘れられないでいます。

フェイスブックでアメリカ人中心の死別の会に入っているのですが、死別して1ヶ月未満で、新しい人とデートして、混乱して帰ってきた。まだその段階ではなかった。というような投稿が時々あって、そういうのを見ると、「いや、1ヶ月は幾ら何でも早すぎるだろう。ありえないだろう」と思ってしまいます。でも、もしかして、ずっと長い闘病生活があったのだとしたら?もう何年にも渡って心の準備ができていたのだとしたら? 色々想像します。

人との出会いはどこにあるかわからない。どこに運命の人がいるか分からないのですものね。

死別後割とすぐに、新しい恋愛相手に恵まれる人も、私のように、望んでいても、なかなか縁がない人もいる。

プロポーズを断られてしまったその男性が失敗した点があるとすれば、彼女はまだ彼との結婚を考える段階ではなかった、ということに気づけなかったところでしょうか。もしくは、彼女は彼を愛するがあまり、想像力が働きすぎて、自分といつか死別しても、また彼は3年あまりで他の人と再婚するかもしれない、と怖くなったのでしょうか。どちらにしても、お互いそこまで相手を思えていたのなら、よりオープンになって、交際が続いていくといいなぁ、と、基本楽観的な私はそう思います。

死別したばかりの人へ

私は死別してもう数年が経っている。数年経てば悲しみが去り、死別の苦しみを乗り越えているんじゃないかと思う人がいるかもしれない。そうであってほしいと思う人がいるかもしれない。何年もこんなどん底の気持ちのままで生きていけないと思っているだろう。

まさか死別して結構な年月が経っても、大泣きする日があり、号泣する日があり、心にグッと刃を刺されたような痛み、悲しみ、虚しさ、空虚さを覚える瞬間が今でもある、と知ったらどう思うだろうか?

私たちは死別の苦しみから逃れることはできない。乗り越えることなんてできないのだ、と私は実感している。

たとえ、恋人ができたとしても、再婚したとしても、子供達と周りの人たちとの関係やいろんなことが大方うまくいっていたとしても、私はずっと夫を恋しく思い、失った悲しさを自分の中に持ち続けるのだ。

愛する人がいないのに、持って行きどころのない愛。それが死別の悲しみかと思う。

でも、言えることは、その悲しみは形を変えるということだ。大きい日もあるし、小さい日もある。柔らかく愛しい日もあるし、強く鋭い日もある。

そして、だけど、日々は残酷で、私を成長させる。いやが応にもだ。自分の気持ちに敏感になり、悲しみと少しずつ自分なりに向かい合えるように、いつか、きっとなる。時間やプロセスはそれぞれだろうけど。

夫が生きていた頃、私は1、2週間先のことまでプランして、全ての準備が頭の中、もしくは実際に仕上がっている状態だった。子供が3人になってからは、むこう3日のことを考えるのに必死だった時期もあるけれど、だいたいうまくスケジュールをこなせていけることが多かった。

死別して2年くらいまでは、明日のことまで考えることができなかった。大きな予定(弁護士に会う約束とか子供の病院の予約とか)はちゃんと頭に入れるようにしていたけど、自分の予定、子供達の幼稚園や学校のことなどは、本当に考えられなかった。向こう2時間くらいを目標に生きる日々だった。とりあえず、その数時間過ごそう、生きよう、という日々。そして、だんだんと、明日のこと、明後日のことまでプランする余裕ができてきたように覚えている。

英語では one day at a time、とりあえず1日を頑張って過ごそう、みたいに励まされることが多いが、死別した時に one minute at a time、本当に目の前の少しの時間、わずか1分をとりあえず乗り越えよう、というように励まされることが多かったのを覚えている。

全てを投げ出したくなる瞬間があると思う。もう逃げてしまいたい、終えてしまいたいと思う日があると思う。でも、目の前の少しの時間を踏ん張って過ごそう。その繰り返しでいいのだと思う。大きなことを成すことができなくても、夢が変わっても、愛する人がそばになくても、瞬間瞬間を過ごし、次の日のことだけを考えて、なんとか1日過ごせれば、そういう日々が続けば、いつか、自分の死別の悲しみと向き合い、共存できると思える日がくると思う。

偉そうにアドバイスしていると聞こえたら申し訳ないけれど、そういう意図はないけれど、なぜかこういうことを書きたくなった。月曜は色々週末のことを思い、私は割と落ちる。