何だかなぁ

1年ちょっと前にドイツ人ママ友のお父さまが亡くなられた。友人は父親と仲が悪かったらしく、私たちの前で涙を見せることはなかったが、わたしは密かに彼女と残されたお母さまのことを心配して気にかけていた。

昨夜、ひさしぶりに彼女とゆっくり話す機会があったので、聞いてみた。「その後、お母さまは大丈夫?」と。死別経験者のわたしになら、もしかして弱みを見せてくれるかもしれない。わたしに出来る事があるかもしれないと思っていた。

彼女はきょとんとした顔をして、こう答えた。

「母親?元気よ〜。全然元気。新しい彼が出来て、今まで味わえなかった幸せを味わってるみたい。全然心配してないわ」と。

。。。。。。。。

そっか。こういうケースもあるんだな。あっけに取られた。

。。。。。。。。

70手前のお母さま、きっと今幸せなのだろう。

なんだかなぁ。と思った。

ドイツの小学校生活 マイナスイメージでのスタート

イギリスで小学校を卒業した長女は、ドイツでギムナシウムという中高一貫の学校に入学した。ここに入れることになった過程は、4月25日のブログに書いた。

長男はドイツの小学校2年生になることになった。イギリスでも小学校に通っていたし、社交的な息子なので、それほど心配してなかった。まだ幼いし、スムーズにいくだろうと何となく根拠もなく思っていたのだ。私は本来楽観的なのだ。

が。この私の予想が甘かった。長男のドイツの小学校スタートはかなり厳しいものとなったのだ。まず、ドイツの朝は早い。9時スタートだったイギリスと違って、ドイツの学校は8時前後で始まる。息子の小学校は7時50分からだ!早すぎる。そしてドイツの秋、冬の朝はまだ暗い。

まだ車もなく、下の子供達2人も連れて、ベビーカーを押しながら、息子と7時半には家を出て学校まで子供のスピードで歩く。

イギリスでは毎日学校に持っていくものは、薄っぺらい学校のバッグのみだった。教科書も筆記用具もない。クラスにあるものをその日その日使うだけだ。宿題もない。

ドイツの小学校は細かい。教科書も指定のファイルやノートもある。軽くてカラフルだけど日本のランドセルのような大きなリュックサック(トニスターと呼ばれる)を背負う。筆記用具入れもあるし、ちょっとしたお弁当(朝が早いので、10時ごろにちょっとしたサンドイッチや果物を食べる時間がある)も必要だ。

そしてびっくりしたことがもう一つ。ドイツの学校は始まりも早いけど、終わるのも早くて、12時過ぎには授業が終わってしまうのだ。お昼ご飯は家で食べる。そして、放課後は宿題をして、あとは家でゆっくり過ごしたり、それぞれ習い事に行ったりするのだ。

もちろん、今や働くママも多いので、放課後クラブというようなものに入る子供も多い。その場合は給食も出る。宿題もそこで見てもらえる。イギリスでは9時から15時半まで小学校に行っていたので、息子も、ドイツで放課後クラブに入れることにした。息子が友達を作り、ドイツ語を学び、馴染むのにもいいだろうと思ったからだ。

お迎えは16時。朝7時半には家を出て帰ってくるのは16時過ぎ。これが実は、息子には大変だったのだろう。朝の登校中に、ぐずったり、怒ったり、機嫌が悪くなることが増えた。私も、下の子供たち、末っ子はまだ生後半年にも満たないのに、朝早くからベビーカーに乗せて、雨の日も風の日も送り迎えをすることに疲れを覚える日も多かった。ドイツでは、子供の送り迎えは強制されていない。息子を一人で登校させることもできたのだが、イギリスでは11歳まで子供は一人では道を歩けない、ということにずっと慣れていたので、薄暗く寒い朝、息子を一人で行かせることは気持ち的に、できなかったのだ。

同じく送り迎えをしているママやパパたちも多く、学校の門のところでは、いろいろなママパパたちを見かけた。私は、何となく、誰かから話しかけてもらえて、できればママ友のような人もできるかもしれないと期待していた。

イギリスで、私がそうやって、話しかけられ、話しかけ、友達を作っていたように。

が。ドイツ人とイギリス人ではやっぱり気質が違った。

私に話しかけてくれる人はいなかった。クラスの保護者会があって、英語のできるママが親切にしてくれたが、そのクラス会の前まで、私が誰からも話しかけらない日が1ヶ月近く続いた。

息子の機嫌は悪いし、私にママ友もできそうにもない。朝早く起こされベビーカーに乗せられる末っ子は帰り道に大泣きする。

息子を小学校に入れ、3番目の子供を小学校そばの幼稚園に入れたあと、ベビーカーを押しながら、私は何度となく帰り道に涙を流した。

何で、ドイツに来てしまったんだろう。私はなんてバカなんだろう。何で夫は死んでしまって、私に、こんな思いをさせるんだろう。私の方が先に逝きたかった。こんなの不公平だ。

自分でドイツに来ることを選んだくせに、私は自分の人生を恨んだ。

何事も、最初は厳しい。数度に渡る引越しの経験で分かっていたので、泣く日があっても、その翌日には笑う日が来ると信じて、それでも2年は頑張ろうと思った。私の感情はころころ変わる。