コロナ増加中 秋休み

秋休み中だけど、遠出もしないで、おとなしい毎日を送っている。コロナが増えてきているのだ。周辺のヨーロッパ諸国に比べると、ドイツはまだ保たれている方なのだろうが、確実に第2波がきていると思われる。

子供達とボードゲームをして、DVDを見て、のんびり読書をして、たまに散歩やサイクリング。好きなだけ眠って好きな時に好きなものを食べる。

私、以外にインドア派かもしれない。友達とも随分集まっていない気がするが、なんだか大丈夫だ。義父母には頻繁に会ってるからかな。

音楽家の彼とは、あれから、もう一回友達含め4人で会いました。友達の家で、サルサと音楽談義。難しい話も出てきたけど、退屈することなく聞くことができました。

今日は薄暗く小雨模様。上の子供達は友達と会うというので、下の子供達を連れて、久しぶりに夕食は外食にしようかなと思っているところ。

そうそう、ずっと書くことが躊躇われて、遅くなってしまったけど、昨日、ようやくイギリスの知人にお悔やみのカードを送りました。数日前がお葬式だったそうです。ありきたりの文章じゃ、同じ死別者として、ちょっと足りないかな、と思ったり、でも、悲しみはそれぞれなのだから、お節介なことも書けないし、すごく悩みました。ただ、悲しみを想像すると言葉が見つからずに、すぐにカードを書けなかったこと、これからの寂しさを思うと胸が痛むこと、もしも、吐き出したい想いや何かあったらいつでも連絡ください、ということだけを書きました。死別直後なんて、その日1日を生きるので一生懸命だった。その日その日、目の前の数分を頑張って過ごすことでいっぱいいっぱいだった。本当に、人が亡くなるって悲しいことだ。寂しい。

ちょっとイラっときたこと

心が狭いのかもしれない。私は死別してからさらにわがままになったのかもしれない。だけど、悲しさよりも、イラっときてしまった自分にも自己嫌悪だ。

イギリス時代の日本人知人からメッセージがきたのだ。数回お話ししたことがある別の日本人女性のご主人が1週間前に倒れて亡くなったというのだ。56歳。大学生のお子さん達と奥さんを残されてあっという間に亡くなったと。

すぐに思ったのは、たとえ私は数回しか会ってなくても彼女のことをなんとなく覚えてるし、あちらが覚えてないとしても、カードは送ろうかな、これから大変だろうな、本当に残されたご家族のことを思うと心が痛いな、ということだった。

そういう気持ちを知人に簡単に返答したところ、彼女から、「あなたの旦那様が亡くなった時、どういうことをしてもらったら嬉しかった?」「どんなことが助かった?」「もうお悔やみを言いに行ってもいいだろうか?」から始まって、私も今でも辛い思い出を思い起こしつつ、人によって全く違うだろうなと思いつつも、私の経験を簡単に述べた。

そこまではまだ良かったのだが、「ところで、ご主人の死因ってなんだったの?」「高血圧だったんだっけ?」「亡くなったばかりの人も、持病とかなかったらしいの。不公平よね」というメッセージ。

これら3つのメッセージが辛くて、デリカシーにかける気がして、既読無視してしまった。半日。

どうも彼女も言いすぎたと思ったのか、「遠くからだけど応援してます。大好きです」ときたけれど、「ありがとう」とだけしか返事できなかった。

私はもう死別して数年経っているけど、こういうダイレクトな質問は大丈夫な時と大丈夫じゃない時がある。雰囲気によっては、全然大丈夫で、どんどん話してしまいたい時もある。雰囲気、タイミング、相手との親密度によって全然違う。

心が敏感になりすぎているな、とは思う。

それにしても。海外で、ご主人に急死され、お子さん達はもう家を出ていて。まだ50代だろうと思われるその方もこれから辛い日々が続くことだろう。お葬式もこの状況でとても小規模なものになるのだろう。心が揺れる。

引きこもり生活10日目(月曜)

もう10日も子どもとしか時間を過ごしていないなんて信じられない。友達と騒ぎたい。

朝から義母から電話。携帯の調子がおかしいから、いつか見て欲しいという。うちの長男がそういうのに強いからやってほしいと。私にも子どもにも会えないから、私が来ると連絡すれば、玄関の前に携帯をおいておくという。本当に、とことん怖がっていて、ほぼパニックだ。

という私も、最近ずっとコロナの記事ばかり読んで、どんどん落ち込む。自分でちょっと制限しないといけないな、と思う。だけど、イタリアでも、イギリスでも60歳以上の患者は集中治療室に入れる余裕がないとか、自宅に送り返される、とか、限りある人工呼吸器を若い人に回して行く、とか聞くたびに本当に落ち込む。しかも、看護される間も、スタッフも医者も防護服だ。人の温かみを感じることもなく、会話もされることもなく、本当に不幸に亡くなってしまっても、家族は来る事も出来ず、感染の危険があるから普通のお葬式さえできないという。こんな悲劇があるだろうか。

夫が亡くなってから、夫は病院の遺体安置室の冷凍庫にかなり長いことはいっていた。クリスマスや年末があったし、解剖もあったからだ。でも、そのおかげで、ドイツからの家族もお別れをいう事も出来たし、私たちは「いつでも会いにきていいですよ」と言ってもらえた。袋に入っていて、私たちがくるときは顔の部分だけ出してくれていたのだけど、私が手を握りたい、触りたい、と言ったら快く出してくれた病院のスタッフ。ちゃんとお別れが言えた、大切な時間。突然死だったから、受け入れるのに相当時間がかかったけど、あのときは、まだ信じられない状態だったけど、あの時間はとても貴重だった。

コロナだったらそれも出来ない。

本当に本当に早く収まりますように。祈るしかない、毎日。

朝は買い出しに出かけた。ふたつのスーパーを回ったが、今日はトイレットペーパーがどちらにもなかった。うちには十分あったので必要はなかったのだが、先週よりも厳しさを感じた。大きな方のスーパーでは、買い物カートのハンドルがスタッフによって毎回消毒されていた。

昨日のトンカツが残っていたので、子供達はカツサンドをお昼に、私はご飯とふりかけで軽く済ませた。

夜ご飯は子どもたちの大好きなラザニア。

そして、DVD「塔の上のラプンツェル」を見た。なんでも、ラプンツェルの出身の王国の名がコロナ王国、ラプンツェル自身も塔の上に監禁されていたことから、「まさかこれはコロナの予言?」とネットで話題になっていると、長女がいうからだ。笑 見つけた人すごいな。

オンラインでドイツ語を勉強したり、ダンスのステップを自主練したりしている。ネット環境が整っていて、本当に良かった。それにしても、本当に大変なことになっている。悲しい。

夫の写真をどう飾るか

夫が亡くなった時、お葬式のパンフレット、と言うかなんて言うんだろう?これって。お葬式に来てくれた人に、式の内容、そして賛美歌の歌詞を書いたパンフレットのような小冊子を配ったのだが、その表紙のために使う夫の写真選びに随分時間をかけた。(夫の死後のことは以前にも書いたが、クリスマスがあったり、解剖があったりして、夫の遺体は長いこと冷凍庫に入れられていたので、お葬式まで2週間以上の時間があったのだ)

今考えたら、あまりのショックでおかしかったのかもしれないとおもう。不思議な精神状態。コンピューターに収まっている数千枚の写真を見返して、夫が一番よく写っているいい写真を必死で探した。涙することもなく、義務感のような責任感のような思いで、まるで仕事のように一番いい写真を探した。イギリスの家ではコンピューターはダイニングテーブルの隣にあった。私が必死で写真を探している様子を、滞在していた義理の両親と義理の弟はどんな思いで眺めていたんだろう?

お葬式のパンフレットには、夫が笑顔で写っている亡くなる1年ほど前に撮った写真を選んだ。明るすぎるほどの笑顔だ。

そして、後日、よく着ていたジーンズとセーターで写った、夫が一人笑顔で立っている写真を数枚印刷して、同じ黒の写真たてに入れた。そして、我が家に一つ、義理の両親の家に一つ、義理の弟たちにもそれぞれ一つずつあげた。皆、リビングやキッチンなど、毎日目の入るところに飾ってくれている。我が家には、その写真以外にも、子供達との写真、私との2ショットなど、他にも写真がまだまだ飾られている。以前のブログでも書いたが、自分の指の結婚指輪を見るのが辛くて、指が苦しくて、いつか外してしまったときのような気持ちを最近感じる。夫の写真が多すぎるかなとも思い始める。黒の写真たての一つだけを残して、他の写真はだんだん収納してしまうべきかな、とも思う。でも子供たちが悲しむかな、とも思う。だけど、当時のまだ小さな子供達、若くて幸せいっぱいの私の笑顔、それを見るのが辛いのも正直な気持ちだ。

私の心はアップダウンが激しい。写真を穏やかに見れる時もあれば、苦しくてどんと凹む日もある。もう毎日は泣かないけど、泣くときはお風呂でギャンギャン泣くとスッキリする、ということも体で覚えてしまった。

さぁ、写真、これからどうしようかな。増えたりして。笑

いや、増やすことは、もうないな。やっぱり一枚だけにしようかな。子供たちの部屋にそれぞれあげようかな。

悩む。

ドイツでお墓を作る その3

私は墓石にこだわりたかった。やっぱりずーっと残るものだし、ここはお金をかけたいとおもった。だから、墓石は値段のランクを見ずに、とにかく自分が一番気に入ったものを選んだ。それが強さや耐久性でも優れていたので結果的にも満足なのだが、濃く少し光沢のある黒い墓石だ。

墓石に刻む名前のフォントも選んで、生年月日と没日を記すことにした。墓石会社の人が、「お子さんに名前を書いてもらって、それをそのまま墓石に刻む人もいますよ」と提案されたが、それは、ちょっとプライベートすぎる、というかそれは嫌だったので、ごく普通の綺麗なフォントを選んだ。それから、デザインだ。ドイツのお墓は本当に自由だ。私は十字架をモチーフにモダンでシンプルなデザインに決めた。義妹が一緒に付き添ってくれた。何もアイデアを言うことはなかったが、一緒にいてくれてありがたかった。

骨壷は、飛行機で運ばれた。危惧していたが、私は飛ぶ必要はなかった。自分の膝の上に骨壷を乗せて飛行機に乗るのを想像して、それはきつすぎると思っていたのでホッとした。イギリスの葬儀会社とドイツの葬儀会社がやりとりして、特別な書類が用意され、骨壷は、荷物だけど荷物扱いされず、特別に飛行機に乗せられたらしい。ドイツの空港ではスタッフから直接骨壷が手渡しされることになっていた。私は精神的にも無理で、義理の弟が受け取って、ドイツの葬儀会社まで運んでくれた。

骨壷が届き、お墓の場所も決まったので、骨壷をお墓に入れる式をすることになった。通常ではお葬式に当たる。もう夫がなくなって10ヶ月近く経っていた。私たちが新しくドイツで通い始めた教会の牧師さんとアレンジして、簡素だけどアットホームな式にしようと思った。上の子供たち3人は学校に行っている時間を選んで、その場に呼ばなかった。もうお葬式は10ヶ月前にイギリスで終わっていてお別れしていたし、骨壷を見せて、お墓に入るところを見せて、また悲しい思いをさせる必要はないだろうと思ったからだ。まだ新生児の末っ子だけを連れ、義理の家族と夫の友達と10人ちょっとの式だった。

ちょっとしたハプニングがあって、誤解があって、牧師の到着が30分近く遅れた。私はなんとも思わなかったが、義母はこれに内心相当立腹していたらしい。あとで聞いた。牧師と葬儀会社の人が前に立ち、私たちの前を歩き、夫の墓地までみんなで歩く。私は久しぶりにみんなの前で朝から号泣した。久しぶりの夫は骨壷に入ってあんなに小さい。

お墓の前で牧師の話があり、それにも泣き、そして、葬儀会社の人が、骨壷をお墓に入れた。その入れ方がなぜか乱暴に見え、そして、骨壷が斜めに入ったように私には思えた。私たちは、そのあと、骨壷の上に白いバラを一本ずつ入れることになっていて、一番最初が私だったが、その骨壷がまっすぐじゃないことが悲しくて、しゃがんでまっすぐにしようと思った。穴は思った以上に深くて、骨壷も重かったのか届かず、すぐに気づいた義理の弟がまっすぐに直してくれた。号泣が止まらない。

なのに、ふと空を見ると虹が出ていた。信じられない。本当に夫が私に寄り添っているような気がした。

後日、墓石が綺麗に建てられ、お墓が完成し、キャンドルを灯すケース、植え込みやお花も綺麗になってから、子供達全員を初めてお墓に連れて行った。何百もある大きなこの墓地で「パパのお墓が一番かっこいい」と子供達が言ってくれた。

私は週に最低2回はお墓を訪れ、キャンドルを灯し、お花を生けた。お墓が綺麗になったら心が落ち着いた。お墓、かっこいいでしょう?私頑張っているでしょう?なんで自分だけいっちゃうの?私こんなに寂しいよ。子供たちともっといたかったよね。ドイツにも一緒に住みたかったよね。 いっぱい心の中で夫に語りかけた。お墓ができる前も話しかけていたけど、綺麗なお墓を目の前にすると少し心が落ち着いた。

お墓を作ってよかった。

あ。ドイツ、というかこの街のお墓の権利は30年ごとに更新らしい。30年後お金を払わなければ、墓石も取り除かれて他の人のお墓になってしまうのだ!ちょっとびっくりです。

お葬式

わたしと夫は遺書を作っていた。子供も3人いたし、家の購入の時に勧められて作っていたのだ。これはイギリスでは割と普通なことだったと把握している。お互い、配偶者が亡くなったら全ての財産を相手に託すこと、そして二人とも火葬を希望した。

夫の遺体は解剖の後、綺麗に縫われ(跡は確認していない)葬儀会社の冷蔵庫に移動された。お葬式までここで保管されることになる。葬儀会社もいくつもあったが、勧められた中で、一番家に近いところを選んだ。葬儀会社の人が家に来て、話し合いが持たれた。不安だったので、義理の弟、親友夫妻、そして教会の牧師さんにも在籍してもらった。

棺選び、火葬された後の骨壷選び、遺体に着せる服を葬儀会社に持っていくことなどが確認された。

お葬式は、家族で通っていた教会で行われたので、それについては別に話し合いが持たれた。生バンド、そして夫が好きだった賛美歌数曲を希望した。ドイツの家族にも日本の家族にもわかるように、アメイジンググレイスも選んだ。お花の手配、そして、当日配るお葬式の流れの紙に載せる夫の写真を選んだ。家族写真の一枚のとっておきの笑顔の写真だ。

事務的に諸々こなしていった。夫に着せる洋服は、いつものジーンズにシャツか、スーツで悩んだけど、スーツにした。ワイシャツにアイロンをかけたのは夫の母だった。スーツとシャツをケースに入れて、わたしは葬儀会社まで歩いて行った。夫が火葬される最後の服をわたしは運んだのだ。

夫の友達、会社関係の人、お世話になった人たちにメールでお葬式のことを伝えた。またまたたくさんの返事とカードとお花が家に届いた。

お葬式当日、わたしは子供達と一緒に一番前の席に座って、夫の棺を見つめた。まるでドラマのように、自分のこととは思えなかった。わたしは妊婦で末っ子を抱っこして、上の子供達二人の手を握って、葬儀に参列した。式の最後で、夫の棺が運び出される時、子供達に「パパが天国に行っちゃうよ。バイバイしよう」ってこそっという余裕もあった。あれはなんだったんだろう。なんであんな余裕があったんだろう。泣いて泣いて泣いたけど、どこか信じられない気持ちだった。

火葬場についていくこともできたけど、わたしは行かないことにしていた。そこは、もう立ち入れないと思ったからだ。そこまで心が強くなかった。次に夫に会ったのは、葬儀会社で、わたしの選んだ骨壷を手に取った時だった。イギリスでは骨壷を家に置いておく事は出来ず、お墓が決まるまで、葬儀会社に骨壷は任せることになった。

人の人生ってなんなんだろう。こんなにもいい人で、こんなにも色んな人に影響を与えて、真面目に生きてきた人がこんなにもあっさりといなくなるなんて。

わたしと夫はクリスチャンなので天国を信じている。夫に会えると信じている。でも、残された人生は長すぎて途方に暮れるよ。

お葬式の後、ドイツから来た友人も加わって、うちに集まった。みんなお酒を飲んで、泣いて、大変な夜だった。私は久しぶりにつわりを感じて、吐いた。夫の母が心配して抱きしめてくれた。

お葬式が終わって、ドイツの家族や友達は帰ってしまった。日本の家族も友達も帰った。いよいよ、私と子供達3人だけになった。

お葬式が終わっても何もひと段落なんてしない。苦悩は始まったばかり。辛さ寂しさ、どうしようもない不安、抱きしめられたい気持ちは止まらない。なんで死んじゃったの。どうして私より先にいっちゃったの。夫だって死にたくなかったはずなのに、私は夫の無念さに心を痛めるよりも、自分と子供達のこれからの日々に対する不安と寂しさで押しつぶされそうだった。