今日印象に残った言葉

Do what’s right for you. No one else is walking in your shoes.

自分が思ったことをやればいい。あなたの人生なのだから。

後半直訳すれば、「他の人は誰もあなたの靴を履いて歩いているわけじゃないんだから」となるだろうか。この方がしっくりくる。

ヨーロッパに住んで長くなる。欧米はやっぱり、日本よりも個人主義。それでも、周囲の意見に心揺れたりすることは、ある。

死別して、若くして、普通ではない人生を歩むようになってから、いろんな人にいろんな意見を言われることがある。アドバイスのつもりで。親身になって。の人がほとんどだけど、時々、ちょっと高圧的な人や批判的な意見を聞くこともある。(あった)

だけど、これは私の人生。

誰も私の人生を歩いてない。私の経験をしてない。気持ちも悩みも涙も私のもの。だからやっぱり自分で思ったように生きていくしかない。

死別3年でプロポーズは非情なのか?

https://otekomachi.yomiuri.co.jp/news/20200818-OKT8T234245/

読売新聞の悩み相談に寄せられた悩みだそうです。

死別3年の男性が、その後新たな恋人に恵まれ、プロポーズしたところ、彼女に、3年はまだ供養期間のはず、などと言われて断られたという話のようです。

まだ早い、いや、早くない、などといろいろな意見が寄せられたそう。

死別のストーリーは人それぞれ。環境、子供の有無、幸せな結婚生活だったかどうか、病死だったのか、急死だったのか。残された人の性格、年齢。

誰も何もいえないなぁと思います。でも、そのプロポーズされた恋人は、一番近くで彼を見ていたはずなのに、断ったということは、彼はまだ再婚の段階ではないと彼女が判断したのか、彼女自身が、亡くなった奥さんに対しての気持ちに整理がついてないのかもしれないとか、色々想像してしまいます。

私自身は、もうとっくに7回忌も終え、死別3年目くらいからは、恋人が欲しいと近くの人には宣言していますが、実際はまだまだ夫を忘れられないでいます。

フェイスブックでアメリカ人中心の死別の会に入っているのですが、死別して1ヶ月未満で、新しい人とデートして、混乱して帰ってきた。まだその段階ではなかった。というような投稿が時々あって、そういうのを見ると、「いや、1ヶ月は幾ら何でも早すぎるだろう。ありえないだろう」と思ってしまいます。でも、もしかして、ずっと長い闘病生活があったのだとしたら?もう何年にも渡って心の準備ができていたのだとしたら? 色々想像します。

人との出会いはどこにあるかわからない。どこに運命の人がいるか分からないのですものね。

死別後割とすぐに、新しい恋愛相手に恵まれる人も、私のように、望んでいても、なかなか縁がない人もいる。

プロポーズを断られてしまったその男性が失敗した点があるとすれば、彼女はまだ彼との結婚を考える段階ではなかった、ということに気づけなかったところでしょうか。もしくは、彼女は彼を愛するがあまり、想像力が働きすぎて、自分といつか死別しても、また彼は3年あまりで他の人と再婚するかもしれない、と怖くなったのでしょうか。どちらにしても、お互いそこまで相手を思えていたのなら、よりオープンになって、交際が続いていくといいなぁ、と、基本楽観的な私はそう思います。

ドイツで初めて入院

大学病院の皮膚科専門病棟に10日間入院していました。緊急入院扱いだったのですが、夜遅かったので、一旦家に戻って荷物をまとめて、翌日朝一番にくるように言われました。パジャマ、スリッパ、タオル、洗面道具、本、携帯、イヤホンをとりあえず3日分くらいまとめました。

初日、まだ部屋ができてないというので、荷物は看護士さんの部屋に置いて、検査から。コロナチェックも受けました。血液検査、血圧、そしてひどくなったスネの部分のケア(洗浄してガーゼを取り替える)を受けました。そしてドクターの検診。全ての状況をもう一度説明します。

部屋ができたというので、自分のベッドへ。二人部屋で50代後半くらいの女性が同室でした。だけど、私のベッドは大きな窓側だったし、おとなしそうな女性で安心しました。

荷物を開けてパジャマに着替えると、看護士さんに、書類を持って別の階に行って、写真撮影とレントゲンに行くように言われました。自分一人で大きな大学病院を移動です。写真撮影では、本当に醜い皮膚の全身写真をパンツとブラのみで。部分アップもあり、とにかくたくさん写真を撮られました。これが研究材料になったり、診断に使われるんだなぁと、もう恥も何もなく、とにかく治して欲しい一心でした。レントゲンはシャトルバスに乗って、大学病院のメインビルへ。パジャマでの移動にも抵抗なく、もうどうにでもなれ!の気分でした。

お昼ご飯は12時半。夜ご飯は17時半。朝は7時半くらい。朝と夜はパンとチーズとハム類で、一応パンの種類とチーズとハム類を選べます。お昼は温かい一般的な食事で3つの中から毎日選べて、向こう数日分まとめて頼みます。

それなりに美味しいのですが、私は毎日基本白米なので、パンばかりが辛かったです。

コロナで、身内のお見舞いも禁止。子供達に会いたい、洗濯と新しい衣類との交換はどうしたらいいの?と聞くと、受付に預けるか、病院の外のお庭で会うことができるということ。要は、私が外に出ればいいのだと。というわけで、毎日午後、義両親、子供達、友達とお庭で会っていました。体は病気ではないので、この時間は本当にありがたかったです。羊羹を持ってきてもらったり、日本の本を持ってきてもらったり、おにぎりを頼んだり。ありがたいなーと思いました。

皮膚の検査は続き、体全体の超音波検査、皮膚を取り切って行う皮膚検査も足と背中の2か所行われました。

光線治療が効かなかったので、クリームと飲み薬、とにかく休養でなおしていくことに。

数日後には新しい皮膚ができてきて、スネの部分のガーゼがとれ、回復に向かっているのか?と思いましたが、今度は手の甲と足の甲に新たな湿疹が。これがとにかく痒くて痒くて。

新たな湿疹ができている間は退院できない。検査結果が出るまでは退院できない、ということで、結局10日間。

最後の診断は、「ひどい湿疹」

内臓の病気ではありませんでした。今後は2週間に一度注射を打つ、注射治療になるということで退院。

最初の注射を退院前夜に打たれたのですが、この注射が一本10万円近くするという。もちろん保険でカバーされるので関係ないといえばないのですが。そして、自己注射だというのです!!自分で打て、と!!!

いや、それは無理です、私は打てません。というと看護士さんもお医者さんも笑う。簡単よ。お腹にブスッと打つのよ。と。いや、できません。と本当に心から入院中で一番焦りました。結局、診療所に駆け込めば、看護士さんがやってくれると納得させられ、よく考えてみれば、ドイツ人友達にお医者さんも看護士さんもいるのだから、頼めばいいのか、と心がホッとして、10日ぶりに退院。

久しぶりのお家はとにかく嬉しかった。病院のシャワーとトイレは古くて汚かったので、家のバスルームがありがたかった。整理整頓好きの長女がキッチンのいろいろを片付けてくれていたのも、すごく嬉しかった。

肌自体はまだまだ醜く、痒みもまだまだあるけど、薬とクリームと注射でゆっくり治していくことに。

湿疹の原因は最後まで不明。結局ストレスなのだろう。と。やっぱりセラピストに行った方がいいのでは?死別、シンママのストレスがあるのでは?ヨガをやった方がいいのでは?とにかくもっと休養するべきでは?などと言われるけど、とりあえずこの皮膚をなおして、再発しないようにストレスも溜めないように、気をつけていきたいなと思っているのみです。