友人の旦那様が急死された

悪い知らせが入った。この数年は会えてなかったけど、親しくしていた友人の旦那さまが亡くなったというのだ。

まだ40代。子供も欲しかったのに恵まれないと悩んでいた。でも、夫婦とても仲が良かった。同級生夫婦。

知らせがメールで入った瞬間、私は死別したあの当時、あの最初の数日の感情が呼び起こされ、自分でも驚くほど号泣した。とにかく、友人がかわいそうだと思った。私と同じような、あんなショック、そしてこんなにハードで険しく寂しい感情を彼女も味わうのかと思ったら、とにかくかわいそうでかわいそうで、涙が止まらない。

どうして、こんな不公平なことが起こるのだろう?人生はあまりにもアンフェアで、ハードだ。

たまたま長女だけ家にいて、号泣する私を慰めてくれた。私は「○○さんがかわいそう、かわいそう」と何度も繰り返し、昨日は何も手につかなかった。心も身体もすっかり疲れてしまった。

昨日、今日と、この件で色々な友達と話をしたのだが、感情にみんな少しずつ温度差があるのを感じた。当然なことなんだろうけど。やっぱり私が一番動揺したらしい。そして、大切な旦那さまを亡くしたばかりの友人も、私と話したかった、と言ってくれた。

私は、最近は、嫉妬と妄想と妬みで、黒い感情ばかりで生きているような気がしていたが、やはり死別を通して、死別体験者にしか分からない痛みを想像できる優しさも少しは身につけたのかもしれない、と少しだけ思った。

友人が痛みを吐き出せる相手になれればいい。人生は苦しい。

恥ずかしい事だが頭のなかの8割くらいは。。。

彼氏が欲しい、パートナーが欲しいと考えている。

4人も子供がいて、日々忙しく、ドイツ語も苦労して勉強しているのに、本当に8割くらいはその事について妄想している。

幼稚園や子供の学校で会う大人を見ては、あぁ皆夫婦揃って仲いいんだなぁと勝手に想像し、スーパーに行って他のお客さんや店員さんを見ては、きっとみんなパートナーがいるんだろうなぁと羨む。偏見入ってるかもしれないけど、勝手なイメージで申し訳ないけど、どんな老いた人でも、とてつもなく太っている人でも、すごく感じの悪そうな人でも、あぁ、きっと皆私のように一人ではないはずだ、と羨ましくなり妬む。

それほど悪いことをした記憶はない。どちらかといえば、真面目に生きてきた。たまの喧嘩はあっても夫は私に大きな不満もなかったと信じている。それなのに、私はこんな試練、こんな状態を与えられてしまった。

レンタル彼氏やレンタル父親が日本にはあるらしい。こっちにもあるのかな。

でも、レンタルじゃ虚しくなるかもしれないな。

再婚の希望などない。夫と一緒のお墓に入りたい。なんなら今すぐにだって、入ってもいい。正直に言えば。

子供のために生きている。というか、子供たちはきっと私がいなくても、親戚たちが育ててくれると思うけど、子供たちに、再び親を失う悲しみを味わってほしくない、というその気持ちだけで生きている。

遊んでも虚しい。どこかつまらない。子供と幸せを感じる瞬間はあるけど満たされない。

私は昔から、根っからの恋愛至上主義なのだ。

どうしよう。いい歳して、母親なのに私はおかしいかもしれない。

初夏にも恋しくなる人肌

ドイツにもようやく遅い春がやってきた。陽射しの強い午後の数時間は、まるで初夏のような陽気だ。

庭で遊ぶ子供たちを見ながらコーヒーを淹れる。あぁだいぶ落ち着いたかなぁと思う。

今日の洋服。夫の知らないモノばかりだな。月日が経ってさびしい。私は老けていくのに、あなたはあの日のままだよね。私は20代の学生時代に夫に知り合い、20代前半で結婚した。12年の短い結婚生活。友達グループで1番先に結婚したけど、他の友達も、もう13年とか結婚してる人もいるよ。追い越されちゃった。

私は止まったまま。女性として一番可愛い時期を夫と過ごせて良かったけど、今じゃアラフォーで、4人のシングルマザー。

冬も寂しいけど、初夏のキラキラした日もさびしいな。いつも人肌恋しい。欲求不満だな。

長女と長男セラピーを受ける

怒りがちな私より穏やかなダディが好きだったように思える長女と長男。当時末っ子だった3番目は私にべったりのママっ子だったけど。

長女10歳、長男7歳の時に大好きなダディがいなくなった。長女は静かに泣くことはあっても大泣きしたことは、少なくとも私の前ではなかった。死別してちょっと月日が経っても、一人号泣する私に気づいて、私と一緒に泣くのは長男の方だった。

長女は引っ越しも新しい学校もドイツ語のレッスンもこなして、弟妹たちの面倒もみて、いわゆる良い子だ。

長男は大好きなイギリスの友達と離れ、ドイツの小学校生活に軽くカルチャーショックを受け、荒れた。小児科の先生や学校の担任の勧めもあって、10回程度のセラピーを受けることになった。様々な精神的トラブルを持つ子ども達専用のセラピストだ。

まず私が先にセラピストの診療所に行き状況を説明した。所長の先生は夫よりちょっと年上の穏やかな方だった。でも先生が言うには、「僕がセラピーを担当することもできるけど、一見その方がいいように思うかもしれないけど、パパと同年代の男性だと、息子さんは逆につらいと思う。だから若い女性セラピストが合うと思う」とのこと。プロの決定に任せることにして、息子の最初のセラピーのセッションはわたしも同席した。若いセラピストの女性は明るく息子に話しかける。ゲームをしたり絵を描いたり、お喋りして月に数回1時間ずつ通うのだ。私には言えない感情や、自分自身でも処理出来てなかったダディとの別れの辛さ、引っ越しへの不満など、ちょっとでも気持ちが整理されればいいと思った。セラピー自体は楽しい時間らしく、行きたくないと言ったことは一度もなくすべてのセッションが終了した。延長するかどうかは私と息子本人次第というので、また将来的にお世話になるかもしれないけど、一旦おわらせた。サッカークラブにも入り、ドイツ語も上達して本人もこちらに馴染んできたのがわかる。とりあえず様子みだ。

そして。ここにきて思いがけず、長女がセラピーを受けたいと自分で言い出した。学校の先生で大好きな先生がいて、いいセラピストを紹介されたというのだ。長男がお世話になった所とは違う場所の中年女性セラピストだ。まだ数回しか通ってないが、娘はすごくセラピーの時間を大切にしているのが分かる。私もそのセラピストと1対1で定期的に会うのだが、長女の性格や学校の友達、周囲の人間関係をすっかり把握していて、人見知りな長女がここまで色々喋っていたことにポジティブに驚いた。

そのセラピストとの2回目の私の面談中に、私は自分の醜い本音をこぼしてしまった。他のママ友に対する嫉妬だ。すっと涙を落とし、訴える私に「きっと貴方もセラピーが必要ですよ」と彼女は優しく言った。

だけど、わたしは行きたくない。またもう一回全てを知らない人に話すのは疲れるし、まだ末っ子にも手がかかり、自由な時間はない。子供たちがセラピストにお世話になっているのに、そして、だからこそ良さも分かるのだけど。

ここに吐き出すことや、他の方のブログや本を読むことが私には今は向いてるとおもう。

夫の同級生

夫の故郷に引っ越したので、夫の家族と友達にいっぱいお世話になっている。なかでも、2人の夫の同級生はとても親切だ。夫の生前中も、ドイツに帰省したら一緒に会っていたし、出張などでイギリスに来た時に会うこともあった。

2人とも小学生の頃からの親友で英語もできる。引っ越しのときには家電量販店に一緒に行ってもらって選ぶのを手伝ってもらったり、電話回線や携帯のこともお世話になった。

1人は家族持ちでもう1人は独身だ。3人でご飯に行ったり、うちにお茶に来て子ども達と遊んでもらったりしているが、最近思うのだが、どうやら独身の彼は私に好意を持っているかもしれない。この前の私の誕生日にコンサートのチケットを2枚くれた。一緒に行こうってことかな?

彼はいい人だけど、わたしは異性としてみたことはない。

別に告白されたわけでもないけど、毎週電話をくれて気遣ってくれて、月に数回は(みんなで)会っている。

どうなんだろう?

ずっとひとりは嫌だなと思うけど、この彼じゃないと思う。でも私に選ぶ権利なんてあるのかな?

独り言です。。。

週末はDVD鑑賞

家族連れを沢山目にするのが辛くて、週末は特にキツイ。きっと子供たちも同じだろう。そうそう言葉には出さないけど。

我が家の場合、兄弟が多いので、家の中だけで割と様々な人間関係になる。たとえ、子どもといっても個性はそれぞれだ。組み合わせ次第で人間関係がいろいろうまれる。

頑張って週末外出して落ち込むばかりではなく、週末の楽しみを作るため、金曜と土曜の夜は家族で映画を見ると決めた。

DVDは欲しいものは我慢せず買うことにして、去年からはamazon プライムも使えるようにした。

ドイツの平日は朝が早いので、夜も早寝が基本だけど、週末は遅くまで映画を見て(とはいっても22時半くらいだけど)朝もゆっくりしようと思った。勿論末っ子はまだ小さすぎて、平日も週末も区別があったものじゃないけど、とにかく家族でこういう楽しみを作ろうと思った。

これは、いい。

電子レンジでポップコーンを作ってリビングをちょっと薄暗くして、子ども4人と私でソファーにくっついて、毛布まで持ち出して映画を見る。上の子どもたち3人と私が順番で見る映画を決め 、他の人は文句は言えない。

ディズニーはアニメでも実写でもやっぱり良くできているし、息子の選ぶ車の映画やヒーローものも、ちゃんと観ると面白い。

これから何十本も何百本もの映画を一緒に見ていくのかな。ずっと続くといいな。子供たちと過ごす週末の夜。

結婚指輪つけるか外すか

結婚してから一回も結婚指輪を外さなかった。お風呂の時も家事の時も外したことがない。そういうものだと思っていたからだ。

泥棒事件のところで書いたが、夫の結婚指輪は盗まれた。わたしの婚約指輪は奇跡のように出てきた。石のついた婚約指輪は、やっぱり日常使いにはしにくくて、大切に保管している。

死別しても、わたしはMrsだ。結婚指輪をつけ続けた。結婚式の誓いで「死が二人を分かつまで」と宣誓したが、まさかこんな短く結婚生活が終わるなんて思ってもみなかった。夫の死によって今わたしは書類上、法律では独身、シングルなのだが、結婚指輪をすることによって、わたしは今でも亡くなった夫の妻なのだ、と誇りというか、それがしっくりきた。

それが、死別2年近くなると苦しくなるようになってしまった。左手の薬指に圧迫感を覚え、指輪が目に入るたびに心が痛んだ。

その事に自分で気付いてから、誰にも相談することなく、わたしは結婚指輪を外した。そして婚約指輪と一緒に仕舞いこんだ。

指輪のないことに気づいた子供たちは少しだけ反論した。でも、わたしは、外すタイミングなのだと思った。心が少しだけ軽くなったからだ。何故だかは説明できないのだけど。

夫は私の心の中に住んでいる。私の一部だ。指輪で証明することはない、と思った。いつか新しい出会いがあるかもしれないから、指輪がない方がいいかも、とも思った。またしたくなったら、指輪をまたつければいいのだし、とも思った。

わたしは正真正銘死別シングルマザーだ。

ドイツの小学校生活 マイナスイメージでのスタート

イギリスで小学校を卒業した長女は、ドイツでギムナシウムという中高一貫の学校に入学した。ここに入れることになった過程は、4月25日のブログに書いた。

長男はドイツの小学校2年生になることになった。イギリスでも小学校に通っていたし、社交的な息子なので、それほど心配してなかった。まだ幼いし、スムーズにいくだろうと何となく根拠もなく思っていたのだ。私は本来楽観的なのだ。

が。この私の予想が甘かった。長男のドイツの小学校スタートはかなり厳しいものとなったのだ。まず、ドイツの朝は早い。9時スタートだったイギリスと違って、ドイツの学校は8時前後で始まる。息子の小学校は7時50分からだ!早すぎる。そしてドイツの秋、冬の朝はまだ暗い。

まだ車もなく、下の子供達2人も連れて、ベビーカーを押しながら、息子と7時半には家を出て学校まで子供のスピードで歩く。

イギリスでは毎日学校に持っていくものは、薄っぺらい学校のバッグのみだった。教科書も筆記用具もない。クラスにあるものをその日その日使うだけだ。宿題もない。

ドイツの小学校は細かい。教科書も指定のファイルやノートもある。軽くてカラフルだけど日本のランドセルのような大きなリュックサック(トニスターと呼ばれる)を背負う。筆記用具入れもあるし、ちょっとしたお弁当(朝が早いので、10時ごろにちょっとしたサンドイッチや果物を食べる時間がある)も必要だ。

そしてびっくりしたことがもう一つ。ドイツの学校は始まりも早いけど、終わるのも早くて、12時過ぎには授業が終わってしまうのだ。お昼ご飯は家で食べる。そして、放課後は宿題をして、あとは家でゆっくり過ごしたり、それぞれ習い事に行ったりするのだ。

もちろん、今や働くママも多いので、放課後クラブというようなものに入る子供も多い。その場合は給食も出る。宿題もそこで見てもらえる。イギリスでは9時から15時半まで小学校に行っていたので、息子も、ドイツで放課後クラブに入れることにした。息子が友達を作り、ドイツ語を学び、馴染むのにもいいだろうと思ったからだ。

お迎えは16時。朝7時半には家を出て帰ってくるのは16時過ぎ。これが実は、息子には大変だったのだろう。朝の登校中に、ぐずったり、怒ったり、機嫌が悪くなることが増えた。私も、下の子供たち、末っ子はまだ生後半年にも満たないのに、朝早くからベビーカーに乗せて、雨の日も風の日も送り迎えをすることに疲れを覚える日も多かった。ドイツでは、子供の送り迎えは強制されていない。息子を一人で登校させることもできたのだが、イギリスでは11歳まで子供は一人では道を歩けない、ということにずっと慣れていたので、薄暗く寒い朝、息子を一人で行かせることは気持ち的に、できなかったのだ。

同じく送り迎えをしているママやパパたちも多く、学校の門のところでは、いろいろなママパパたちを見かけた。私は、何となく、誰かから話しかけてもらえて、できればママ友のような人もできるかもしれないと期待していた。

イギリスで、私がそうやって、話しかけられ、話しかけ、友達を作っていたように。

が。ドイツ人とイギリス人ではやっぱり気質が違った。

私に話しかけてくれる人はいなかった。クラスの保護者会があって、英語のできるママが親切にしてくれたが、そのクラス会の前まで、私が誰からも話しかけらない日が1ヶ月近く続いた。

息子の機嫌は悪いし、私にママ友もできそうにもない。朝早く起こされベビーカーに乗せられる末っ子は帰り道に大泣きする。

息子を小学校に入れ、3番目の子供を小学校そばの幼稚園に入れたあと、ベビーカーを押しながら、私は何度となく帰り道に涙を流した。

何で、ドイツに来てしまったんだろう。私はなんてバカなんだろう。何で夫は死んでしまって、私に、こんな思いをさせるんだろう。私の方が先に逝きたかった。こんなの不公平だ。

自分でドイツに来ることを選んだくせに、私は自分の人生を恨んだ。

何事も、最初は厳しい。数度に渡る引越しの経験で分かっていたので、泣く日があっても、その翌日には笑う日が来ると信じて、それでも2年は頑張ろうと思った。私の感情はころころ変わる。

若年未亡人若年死別者の割合

http://shibetu.strikingly.com/

これを見てもらえば、分かるのだが、私のように30代で死別する人は割合でいうと本当に少ない。1万人に4人とかだ。当然、私の周りの知人友人で、若年未亡人はいない。

死別者の集まりに行って、ほとんどが60代以上の人で、浮いてしまったことは以前にも書いたが、とにかく、私は死別して以来、若年未亡人と個人的に話したことは一度もない。一方的にブログや本を読んで共感させてもらっているだけだ。

こんなに稀有で、死別という暗い経験をしている存在だから、普通の人から見たら扱いにくい厄介な存在かもしれないな、と思うことがある。離婚経験者のシングルマザーとシンママならではの悩みを相談し合うことは多いが、やっぱり、死別者と離婚者では、私たちママと子供の傷に少し違いがあって、うまく噛み合わない部分もある。

じゃあ、どうしたいのか?結局、自分の傷は自分で癒すしかないのかなと思う。完全には治ることはない、大きな傷。とりあえず、自分の生活で、小さな目標を立てていこうと思った。ちょっと頑張れば叶えられそうなくらいの目標だ。子供たちとちょっとだけ遠出する、とか、一人でカフェに行く、とか、義父母に子供を任せて、友達と飲みに出かける、とか。

友達が、旦那の不満を言う。みんな私に気を遣ってくれているのだろう、一対一で会っている時に、私に旦那さんの不満を言う友達はほとんどいないけど、グループで会っていると、そういう話も出てくる。子育ての方針の違いとか、ちょっとした誤解から喧嘩になったこととか、旅行先でのちょっとしたハプニングから大げんかになった話とか。何事もないような顔をして、でも、発言することなく平然と聞いて、心で泣く。本当に、心って痛くなるんだな、と実感する。

みんな、いつか旦那さんと死別するか、自分が先に死んじゃうんだよ。私のように、なんの前触れもなく、突然かもしれないんだよ。

心の中で思う。こんな気持ち誰にも味わって欲しくない。でも、私の心をわかってもらうために、味わって欲しいような悪魔の気持ちも一瞬芽生える。恐ろしい。死別しないと分かんないだ。喪主になって、人生ぽんと放り出されないと、分かんないんだ。私の心をわかってくれる人は周りにいない。

だから、ブログや本を読み漁る。これも私にとっては癒しの一つだ。

アイデンティティ喪失

大学卒業して、割とすぐに結婚して、すぐにイギリスに引っ越した。ヨーロッパは夫婦やパートナーでの行動が多い。

パーティーに行くのも、食事に呼ばれるのも、いつも私たちは夫婦一緒だった。〇〇&▽▽。私は夫の名前と一緒にこう呼ばれること、カードにこう書かれることにすっかり慣れきっていた。

夫の死後は、受けとるカードに私の名前しか載ってない。私は一人なのだ。

私は妻としてのアイデンティティを失った。守ってくれる夫はもういない。

急に更地に放り出されたような怖さ。ほぼ専業主婦に近かったからなおさらだ。そして、言葉もできないドイツに引っ越してきたのだから、仕事ができるはずもなく、私は母親としてのアイデンティティだけになってしまった。

どうやって生きて行くのか?子供達をどう育てるのか?いつもいつも心の中で夫に話しかけて、模索する日々。