泥棒にやられた 前編

夫が亡くなって3ヶ月になろうとする頃、イギリスの学校でハーフタームと呼ばれる、学期の半ばのお休みの時期がやってきた。気分転換にもなるし、私も安定期だったし、飛行機に乗ってみんなでドイツの義理の両親の家に行くことにした。夫がいないのに、ドイツ語もできないのに、身重で子供達3人を連れてドイツまで行くのは無謀な気もしたが、空港も遠くないし、飛行機も1時間程度だし、夫が亡くなってからというもの、義理の家族との距離が縮まったのを実感していたから、子供達にとってもいい休みになるだろうと思った。

出発は月曜日だ。その直前の金曜日に、長女の小学校で劇の発表会があった。長女も役がちゃんとある。下の子供たち2人と歩いて小学校に行って、劇を楽しんで、長女も一緒にみんなで歩いて家に戻った。その頃には、もう日が落ちていた。

イギリスの家は古い家が多い。我が家も然り。緑色の古い玄関のドアを開けると、入ってすぐのゲストルームが散らかりまくっているのが目に入った。一瞬だけ、え?地震?と頭をよぎったが、ここはイギリス。地震はないはず。そして、リビングに入ってびっくり。荒らされまくっている。ソファもクッションも床に落ち、ありとあらゆる引き出しは開けっ放し、急いでキッチンに向かうと、キッチンのドアが壊されて半開きに。

間違いなく泥棒が入ったのだ。

5歳の末っ子は金切り声で泣き出し、10歳と7歳の子供たちも怒り泣き出した。

私はすぐに、自分の寝室に向かった。家の中で一番価値があるもの、私にとって一番大切なもの、夫が私にくれた婚約指輪と、夫の結婚指輪を探しに行った。

が。なかった。この時点で私は床に座り込み泣き出してしまった。そして、警察に電話。2ヶ月半前に夫が急死したこと、小さい子供たちが3人いて、私は妊婦であること、一番大切な婚約指輪と夫の残した夫の遺品でもある結婚指輪がなくなっていることを伝えた。

警察は5分以内で来てくれた。友達夫婦にも電話。二組の夫婦が来てくれた。

続きはまた明日書きたいと思う。

法律事務所に行く

私たちはイギリスで数回家を売買していた。名義は二人にしたかったのだが、当時、私にはまだイギリスの永住権がなかったので、夫だけの名義になっていた。家の購入の数年後、私も永住権が取れたので、名義を変更すればよかったのだがしてなかった。「どちらかが亡くなった時は、財産は全てどちらかが受け取る。二人とも亡くなった時は、子供達で均等に分ける」という遺書を作っていたのできっと問題ないはず、夫が亡くなったので、私だけの名義にスムーズになるはずだと思っていた。が、どうやら専門家の助けが必要のようだ。

というのも、「プロベイト」という手続きが必要になるからというのだ。プロベイトというのは、故人の残した財産を他の人が動かす権利とのこと。

夫が亡くなって2ヶ月後、私はソリシター(事務弁護士)の法律事務所を訪れた。

前日は1日家にこもって、たくさんの書類やファイルに目を通した。ソリシターから持ってくるように言われたのは、「住所が確認できるもの」と「パスポートか免許証」の2つのみ。
でも折角の時間を無駄にしたくないと、色々関係しそうなファイルを全て持っていくことにした。

遺書、家を購入時の詳細、ローンの詳細、保険の詳細、給与詳細、年金の詳細、結婚証明書、子供たちの出生証明書、税金の詳細などなど、大きなバッグ2つ分の大量のファイルを持ち込んだ。

付き添ってくれたイギリス人友人の奥さんのお母さまが2年前に亡くなった時に奥さんの弟は、ソリシターにこの手続きに2000ポンドを払ったらしい。私の考えていた相場もこのくらい。

相場を聞くために前もっていくつか電話したソリシターの事務所の中には「セット料金と言うのはなく、個々の場合によって異なるが4000ポンドから8000ポンドくらいと幅がある」との返答をくれたところもあった。
高い。

とりあえず会って話してみないと分からないというので、不安を抱えたまま、別の友人が紹介してくれたソリシターと予約をとったのだ。2000ポンドくらいだったらお願いして、高かったら出直して他をあたることを友人と確認して、いざ事務所へ。

まずは私の夫がイギリスに来た背景やら年代やら、私との出会いの時期やら色々聞かれた。

「プロベイト」が私に必要なのは、家の名義が夫の名前になっているから。
銀行口座は共同名義だったし、遺書もあったのだが、それでも「プロベイト」が必要なのだ。
夫の銀行口座なども、たとえ妻であっても勝手に資産を動かせないのだ。

そして、相続税の問題。325000ポンド以上の資産には40パーセントの税金がかかるとのこと。

そして、イギリス人の友人も初めて知る話が出てきた。
イギリスはちょっと変わった国らしく、イギリス人とかイギリス国籍を持っているとかとは別問題で、17年間連続してイギリスに居住していたかどうか、ということがその相続税の時に関係してくるらしいのだ。

夫はイギリスに住んだのは合計20年だが、そのうち3年半を2回に分けて日本で暮らしているので、非イギリス人扱いになるとのこと。私は勿論非イギリス人。この場合の譲与は、相続税が関係しなくなる。(このあたりは各々のケースによって違うかもしれないのと、数年前の話なので今は違うかもしれないことをご了承ください)
でも、イギリス人扱いの人から、非イギリス人扱いの人への譲与には夫婦であっても税金がかかってくるのだ。

相続税がかかりそうにないということで、うちにとってはグッドニュースなのだが、それにしても複雑だ。
厚生年金の計算もあるし、保険金の計算もある。やっぱり1人ではとても無理そうだ。
家の資産価値も、夫が亡くなった日当時の価値を不動産会社に査定してもらうことになるという。

さて、家の名義の話のときに「ランドレジストリー」のことを聞かれた。イギリスの家にはそれぞれ番号があるのだ。
私は夫がファイルしていた「家の購入ファイル」にあることを知っていたので、差し出すとソリシターにとても驚かれた。
なんと、初回のミーティングでこの番号を出したのは私が初めてだというのだ。
「え?それってなんのことですか?」という奥さん方も多いらしい。

伊達に数回家を売買してないです。夫に頼りきっていたとはいえ、私にもそれなりに知識はあるのです!と少し誇らしくなってしまった。

というわけで、アットホームに割とスムーズに話は進み、1時間でミーティング終了。

気になる料金ですが、ソリシターさんがいっぱい手伝ってくれて、でも、自分でもやる場合1000ポンド弱、彼女に全てお願いする場合1200ポンドから1500ポンドとのこと。

相場よりも、想像よりも安い!
全てお願いすることに。

ほっ。

これでだいぶ肩の荷が下りた。大きな仕事を任せられる、信頼できるプロの方と出会えてほっとした。

シングルマザーの経済事情

私は週にわずか数時間しか働いていなかった。夫が大黒柱だった。夫が急死して困ったのは、夫の名前の銀行口座が全て凍結してしまった事だ。死亡したら一時的に凍結してしまうことなど知らなかった。私と夫の銀行口座は二人の共同名義で、一つしかなかった。その口座が凍結してしまい、支払いも引き落としもできなくなったのだ。銀行にも夫の死亡証明書を持参して説明しに行った。一時的に家族からお金を借りた。

夫の会社の直属の上司が私を訪ねてくれた。お悔やみの言葉をくれ、涙を浮かべて、会社として力になることがあればやるから、というような励ましの言葉をくれた。数日後、人事部の方と一緒に再び来てくれて、会社の年金や保険金の話を説明してくれた。銀行からもアドバイスを受けることができた。とりあえず夫の会社からの保険金と月々の遺族年金で生活できそうだ。そして、イギリスは福祉が充実していた。シングルマザーになった途端に、数百ポンド(月に当時日本円で5万程度)の補助が出て、さらに、税金なども免除されることになった。このままイギリスに残れば、経済的には心配がないかもしれないと思った。イギリスは大学を除いて学費も医療費も無料だ。

夫の友達が、「こういうことを言うと不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、シングルマザーになったら社会福祉があるし、彼がなくなってしまったから、彼にかかっていたこれまでの食費や洋服も買わなくていいし、経済的にはそうそう心配することないよ」と私に言った。一家から大人が一人減ったのだ。静かな悲しみと寂しさと、でも、奇妙に納得する気持ちだった。私たちは5人家族から4人になったのだ。そして、お腹の子供が生まれてきたらアンバランスな5人家族にまたなるのだ。アンバランス。アンバランスだという思いが常にあった。両親が二人いて、子供がいる普通の家族だったのに、大人一人に子供がたくさんのアンバランス家族になってしまった。私一人にのしかかってくる責任の大きさがこわい。重すぎる。

当面の経済的な心配がなくなったと思った途端に、私は将来設計について考え始めた。このまま外国人としてイギリスに残ることは、私たちにとって最善のことなのだろうか?外国人の身で福祉にお世話になって、このまま住み続けることに対して、反感を持たれることはないのだろうか?そんな不安がうかんだ。友人たちは、「シングルマザーの福祉は受けることができる当然の権利。これまで十分に税金を払っていたのだから負い目を感じることはない。反感を持つ人は、どこにでも少数いるかもしれないが、気にすることはない」と口を揃えて言った。

夫はドイツ人。私は日本人。子供達3人はハーフ。そして、もうすぐ父親を知らずに生まれてくるお腹の子供。私たちはこれからどのように生きていくべきなのだろうか?そして、夫のお墓はどこに作るべきなのだろうか?夫の骨壺はずっと葬儀会社に保管されていた。

「悲しみのどん底にあるときには大きな決断をするべきではない。」「少なくとも一年間は大きな変化をするべきではない。」というアドバイスをいくつも受けた。それでも私は、悲しみから目を避けたいかのように、これからの私と子供達の生活、人生について頭を悩ますことが多くなった。

こんなにもストレスの多い日々なのに、お腹の赤ちゃんは順調に成長していた。出産準備も必要だ。まさかの4人目だったので、ベビーベッドから何からなにまで、また新たに調達しなければならない。

シングルマザーはこうやって日々なんとかこなしていくだけで、鍛え上げられてしまう。強くなくても、強くなってしまう。こんな自分がかわいそうだと思う余裕もなく、ただただ、目の前の数時間のこと、その日のこと、だけに集中してこなしていく日々だった。常に心の中に、お墓をどこにするべきか、私たちはどこに住むべきか、という悩みを抱えながら。


色んな人に言われたあんな事、こんな事

夫が亡くなってから、いろんな人が私と子供達を心配して訪ねてくれた。日本と違って、お線香をあげに、というわけではないけれど、お花を持って来てくれて、私の話を聞いてくれたり、一緒に泣いてくれたり、ハグしてくれるだけで本当にありがたかった。

でも、たまに、はぁ?!と思うことを言われることもあった。

羅列していく。

1 結構多かったけど、全然慰めにならなかったのはこれだ。「気持ちがわかるわ。私もおじいちゃんが亡くなったときに、、、、、、」と、続ける人。私は、最愛の夫を突然死で、若年で失ったのだ。親や祖父母が先に逝くのは順番だろう!と内心あきれ、かすかな怒りを覚えた。今考えれば、親や祖父母を失うことも相当な悲しみで、そもそも悲しみの比べっこなんて無意味だと分かるけど、当時はそう思う余裕がなかった。

2 もっとひどいのは、これだ。ペットの死と比べられて、「自分が飼い犬を失ってとても辛かったときに買ったペンダントと同じものを贈らせて」といった人。幾ら何でも、私の悲しみはペットとは比べられないはずだ。

3 これも今考えてもおかしな発言である。「まだ若いからいくらでも再婚のチャンスもあるわよ。子供がいっぱいいる人と再婚して、もっと大きな家族を作るかも」デリカシーのかけらもない。

4 これも辛かった。「きっと神様は大きなプランを持たれていて、今はわからないけど、きっと全ていい方向に行くわ」夫が40代で急死する意味はどこにあるというのか?

これらを言われたときは、あきれたけど、何も言い返せなかった。そんな強さも余裕もなかった。でも、心がすーっと凍り付くのを感じた。あぁ、こういう感覚の人とはもう友達でいられないな。と。

きっと、みんな何をいっていいのか分からなかったのだと思う。何も声をかけられないのが本当だろう。それなら、そういってくれるのが一番助かる。「なんて言っていいのか分からない」って。ただ一緒に座ってくれるだけでよかった。ただ泣いてくれるだけでよかった。手をさすってくれて肩を抱いてくれるだけでよかった。色んなアドバイスや助言は悲しみの直後に必要ない。

お葬式

わたしと夫は遺書を作っていた。子供も3人いたし、家の購入の時に勧められて作っていたのだ。これはイギリスでは割と普通なことだったと把握している。お互い、配偶者が亡くなったら全ての財産を相手に託すこと、そして二人とも火葬を希望した。

夫の遺体は解剖の後、綺麗に縫われ(跡は確認していない)葬儀会社の冷蔵庫に移動された。お葬式までここで保管されることになる。葬儀会社もいくつもあったが、勧められた中で、一番家に近いところを選んだ。葬儀会社の人が家に来て、話し合いが持たれた。不安だったので、義理の弟、親友夫妻、そして教会の牧師さんにも在籍してもらった。

棺選び、火葬された後の骨壷選び、遺体に着せる服を葬儀会社に持っていくことなどが確認された。

お葬式は、家族で通っていた教会で行われたので、それについては別に話し合いが持たれた。生バンド、そして夫が好きだった賛美歌数曲を希望した。ドイツの家族にも日本の家族にもわかるように、アメイジンググレイスも選んだ。お花の手配、そして、当日配るお葬式の流れの紙に載せる夫の写真を選んだ。家族写真の一枚のとっておきの笑顔の写真だ。

事務的に諸々こなしていった。夫に着せる洋服は、いつものジーンズにシャツか、スーツで悩んだけど、スーツにした。ワイシャツにアイロンをかけたのは夫の母だった。スーツとシャツをケースに入れて、わたしは葬儀会社まで歩いて行った。夫が火葬される最後の服をわたしは運んだのだ。

夫の友達、会社関係の人、お世話になった人たちにメールでお葬式のことを伝えた。またまたたくさんの返事とカードとお花が家に届いた。

お葬式当日、わたしは子供達と一緒に一番前の席に座って、夫の棺を見つめた。まるでドラマのように、自分のこととは思えなかった。わたしは妊婦で末っ子を抱っこして、上の子供達二人の手を握って、葬儀に参列した。式の最後で、夫の棺が運び出される時、子供達に「パパが天国に行っちゃうよ。バイバイしよう」ってこそっという余裕もあった。あれはなんだったんだろう。なんであんな余裕があったんだろう。泣いて泣いて泣いたけど、どこか信じられない気持ちだった。

火葬場についていくこともできたけど、わたしは行かないことにしていた。そこは、もう立ち入れないと思ったからだ。そこまで心が強くなかった。次に夫に会ったのは、葬儀会社で、わたしの選んだ骨壷を手に取った時だった。イギリスでは骨壷を家に置いておく事は出来ず、お墓が決まるまで、葬儀会社に骨壷は任せることになった。

人の人生ってなんなんだろう。こんなにもいい人で、こんなにも色んな人に影響を与えて、真面目に生きてきた人がこんなにもあっさりといなくなるなんて。

わたしと夫はクリスチャンなので天国を信じている。夫に会えると信じている。でも、残された人生は長すぎて途方に暮れるよ。

お葬式の後、ドイツから来た友人も加わって、うちに集まった。みんなお酒を飲んで、泣いて、大変な夜だった。私は久しぶりにつわりを感じて、吐いた。夫の母が心配して抱きしめてくれた。

お葬式が終わって、ドイツの家族や友達は帰ってしまった。日本の家族も友達も帰った。いよいよ、私と子供達3人だけになった。

お葬式が終わっても何もひと段落なんてしない。苦悩は始まったばかり。辛さ寂しさ、どうしようもない不安、抱きしめられたい気持ちは止まらない。なんで死んじゃったの。どうして私より先にいっちゃったの。夫だって死にたくなかったはずなのに、私は夫の無念さに心を痛めるよりも、自分と子供達のこれからの日々に対する不安と寂しさで押しつぶされそうだった。

突然死だったため解剖されることに

夫はイギリスで健康診断を、そして日本でも2年に1度くらいの間隔で人間ドックを受けていた。それなのに、突然死してしまった。太っていなかったしお酒も人並み程度しか飲まなかった。

夫の心臓が取り出されて検査されることになった。ここで私の意思は聞かれなかったように記憶している。子どもに遺伝する可能性もあるから、大きな心臓専門の機関で検査するとのことだった。

わたしは笑顔の死に顔の夫の身体にメスが入ることに抵抗を覚えた。「綺麗に縫ってくれますか?」と聞いた。ちゃんと綺麗にします。と答えてくれた。

数日後検査結果が出た。

死因は左心室肥大。

遺伝子の突然変異か何かが起こって心臓に異常をきたし、あっという間に逝ってしまったのだ。

死因が分かっても夫は帰ってこない。心電図では分からなかったけど超音波を取っていたら異常に気づけたらしい。でも健康だったからそんなことしてなかった。

後悔しても恨んでも夫は帰ってこない。

バレンタインデー

今日はバレンタインデー。まだ、このブログの中で家のことや、お葬式のこと、お墓のことも書いてないけど、バレンタインだから思うことを今日は書こうと思う。

死別してからというもの他人の幸せを見るのがとても辛い。私たちは時々喧嘩をしながらも仲良くやってきた。いい夫婦だったと思う。死別したら思い出が美化されるというけれど、それを差し置いても、それなりに幸せでいい家族だったと思う。

それが一瞬にして変わってしまった。バレンタインにはいつも花束とカードをくれた夫はもういない。わたしを一番愛してくれる人がもういない。(もちろん子供は私が好きだと思うけど、ここでは男女間の話として)

手を繋いで歩く老夫婦、ちょっとした目配りをしながら微笑む同年代の夫婦、買い物袋を旦那様が多く持ってくれる夫婦、外だけどこそっとキスする夫婦。至るところで目にはいる普通の幸せ。私から奪われた。

私にあるのはこのドン底の暗くどろどろした深い悲しみ。私を一番に愛してくれる人はもういない。それでも生きていかなければならない。

私はお墓にお花を飾ってキャンドルを灯す。こんな悲しいバレンタインがあるだろうか。

移民局に行く

私たちは日本人とドイツ人夫婦だったけど、結婚と同時にイギリスに来て、子供達3人も全員イギリスで産まれた。すっかりイギリスに溶け込んでいるつもりだったけど、知人に思いがけない一言をもらい焦った。

「このままイギリスに住むことができるか、ビザの状況を確認したほうがいいのではないか?」

私にはもう永住権があった。それなのに、なんでそんな必要があるっていうんだろう?

念には念をいれるために、私はおそるおそる移民局へ向かった。

まだ30代、イギリスでは特に若く見えただろう妊婦の私が夫の死亡証明書を持って質問に行ったのだ。

今後至る所で説明しなくてはいけないこの状況をまるで他人事のように、泣かないように伝えた。

「かわいそうに」と同情されずいぶん待たされた。

結果:このまま居住して良し

ということになった。ほっとしたけど、私たち家族はやっぱり外国人なんだと寂しく実感した。

死亡届が出されてから

とにかくやらなければならないことがたくさんあった。私は妊娠安定期に入った。

毎日やらなければいけないことをこなしていった。今思えば、この慌ただしさが私には必要だった。後々記事にしていくが、遺書についてや、法律会社とのやりとり、夫の会社とのやりとり、銀行口座の一時凍結問題、そして葬儀会社決めから葬儀のアレンジなど毎日やることがありすぎた。

私たち家族は外国人としてイギリスに住んでいた。夫がヨーロッパ人だったのでEU圏内ということでなんの問題もなかったのだ。

が、大黒柱の夫が亡くなった今。私たちはこのままイギリスに住む権利はあるのか?移民局にも出向くことになった。

人がひとり亡くなるということは膨大な影響があり、本当に、なんで夫は40代の若さで逝ってしまったのか?私はなんでこんなに若く未亡人になってしまったのか?泣いても泣いても誰も私の気持ちを分かってくれない。